優雅なる復讐

家にあったビデオ『コール・ポーター・ストーリー ユー・アー・ザ・トップ』を観る。


『ナイト・アンド・デイ』や『ビギン・ザ・ビギン』など、思想性皆無で「愛こそ全て!」と歌いあげるだけの甘ったるいラヴ・ソング(最大級の賛辞です、念のため)を多数のこした、おそらく20世紀最大のポピュラー音楽作曲家の1人、コール・ポーター


彼の生涯は、近年の映画『五線譜のラヴレター』にも取り上げられている。しかし、このビデオは周囲の人々の証言を通して彼の生涯をたどる、どちらかと言えば“渋い”雰囲気の伝記ドキュメンタリーだ。


ポーターに対しては、正直「上流階級出身で、イエール大学出身のエリートで、渡欧してはフィッツジェラルドヘミングウェイら“パリのアメリカ人”の代表格として華麗な夜遊びライフを満喫し、ヒット・ミュージカルを量産した、アメリカ・ショービズ界に輝く大作曲家」という程度のイメージしか持っていなかった。しかしここで紹介される人物像からは、もう少し複雑な陰影が伝わってくる。


・祖父は地方の大富豪。その祖父が強い影響力を持つ家庭で、母親に過剰に溺愛されて育ち、同性愛者となった。


・大学では最初、ネクタイも選べない野暮な田舎者として馬鹿にされた。が、すぐにその才気は学内に知れ渡るところとなり、あらゆるところに顔を出す“学内有名人”に成り上がった。


・身長の低さに強烈なコンプレックスを持っていた。その反動か、フットボールに憧れ、選手になりたがった。だが選手にはなれず、大学チームの応援歌を書いた。当時「観客は作曲者など知らずに歌っている。主役は選手たちだ」と淋しげに語っていたという。


・作曲家になってからは豪奢なパーティ・ライフにあけくれた。友人が「パーティと創作は互いにエネルギーを与えあっていた」と語るように、彼はそうした生活の中からエネルギッシュに名曲を生み出していった。とは言え、パーティからは「雰囲気を壊したくないからね」と、ひっそり1人で立ち去るのが常であったという。


・やはり大富豪の女性と、セックスレス結婚。


・キャリア絶好調の時、落馬事故で両足を複雑骨折。切断は回避したものの、車椅子生活となり、生涯その痛みに苦しむことになる。


・妻の死後、人前には姿をほとんど現さず、ごく少数の使用人と豪邸に閉じこもって暮らすようになる。


・華麗だった日々とは裏腹に、最後は病院で孤独な死を迎えた。


こうしたエピソードからは、出自や容姿や性的自我などの様々なコンプレックスを抱えた人間が、それに打ち勝とうと必死で「芸術家」になっていく様子が透けてみえるようだ。


「優雅な生活が最大の復讐である」とはカルヴィン トムキンズの言葉だが、パーティにあけくれたポーターの生活は、まさしく運命への復讐であっただろう。復讐は成功したかに見えた。彼が立ったその頂点で、しかし事故が彼の人生を破壊したのは、運命からの残酷な返礼というほかない。


これを観て、彼の曲の途方もない甘美さが背後に抱える憂鬱さが、少しだけわかった。気がした。