ダンス・ノン・ストップ

WONO2008-01-10



年度末の今週は最終回が続きます。今日は通称「DMR」(ダンス・ミュージック・レコードではなくてダンス・ミュージック・リサーチの略です)ことデザイン論ゼミの最終回。学生からはクラブでのフィールドワークとストリートダンサーのアンケート調査という2件の発表あり。


最後の最後なので、メンバーに聞いてみた。
「ダンス(ミュージック)は何のためにあるのか?」と。


この1年間ディスコ開催したりフィールドワークやったりプロのDJまで招いたりしながら
考え続けてきた問いである。


答はまさに十人十色。「祝祭」「解放」「日常からの脱出」といった意見が多かったけれども。


当方が感じるのは「抑圧」との関係である。極端な例を挙げれば植民地時代の奴隷のダンスのように、差別や抑圧が強くて過酷な状況であればあるほど、ダンスが輝きを持つというのは一つの真実だと思われる。


あるいは、ウィークデイの肉体労働に従事する若者が週末だけはディスコでスターになる…という映画『サタデー・ナイト・フィーバー』を挙げても良い。黎明期のクラブシーンを築きあげたのが黒人やゲイなどマイノリティ層であったという歴史的事実を挙げても良い。


いつの時代もクラブのメイン客層は若者だが、それは金もなく将来も不明で悶々としている若い時代こそダンスを必要とするからではないのか。いやそもそも抑圧ゼロの人間なんて存在しないんだから、どんな人間だってダンスするのではないのか?


ま、この話は菊地成孔さんの「憂鬱と官能」論みたいなもので、ダンスに限ったことではないとも言える。そもそも音楽とは、アートとは、そういう存在なのかもしれない。人類はこれまで、差別、抑圧、ストレス、プレッシャー、憂鬱、悲哀……のようなネガティヴな感情を、美や官能や快楽のようなポジティヴなものに反転させることで、なんとか生きのびてきた。絶望の果てにすら残る小さいが強く輝く宝石のようなもの。それを人は「希望」と呼ぶ。