仏旅 第1日

WONO2007-04-23


さて無事に帰京したので、今回のツアー日記あらためて書いておこうと思います。


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諸方面にご迷惑かけまくりつつ、予想通り出発ギリギリまで作曲とプログラミングを続けつつ、それでも結局「狂った一頁」完成しないまま(当然その後のソロライヴの準備は白紙状態のまま)出発の時刻はやってきた。ほんと毎回こんな感じだなー。


渋谷を朝8時に出てリムジンバスで成田へ。機内映画では『ドリームガール』と『幸せのちから』。2本とも特定の時代を背景にしたサクセス・ストーリー(そしてその時代風景を再現する事に妙に力が入っているのは制作者が皆その時代を懐かしむ世代ということだろう。日本映画の昭和ブームと同じ構造だ)という点がなぜか共通している。そして、ま、こういう機会がなかったら観る可能性がゼロだった映画ではある、個人的には。


もっとも、映画館に足を運びたいほどでもないけど、なんとなくやってるから観てしまう…というのはある意味、真っ当な映画鑑賞法ではないだろうか。当方にとってはTVのロードショウ番組が、まさにそういった存在だった。なにせ小学生の頃は、ビデオレンタルのような業態がまだ存在していなかったし、映画番組には「さて今週は何が観られるかな?」という福袋的な楽しみがあった。チャップリンやらハワード・ホークスやらいわゆる「名画」を中心に、西部劇、アクション、戦争もの、パニックもの、ホラー、ちょっとエッチな艶笑喜劇まで、ジャンルにこだわらずまんべんなく映画に接する事ができたのは幸福な事であった。


今では何でも検索できるし、簡単にアクセスしたりレンタルしたりできる。映画体験のほとんどは、観たいと思う映画を探し出し、自分の好きな時間にそれをじっくり観る、という選択的行動になってしまった。そんな時代だからこそ、未知の映画との偶然の出会いを楽しませてくれる場所はけっこう貴重だ。たとえそれがめちゃめちゃ窮屈なエコノミーの座席であろうとも!


そんな感じで滞空時間をやり過ごし、無事シャルル・ド・ゴール空港に到着。


出迎えてくれたガイドさんはパリ在住で、普段は日本語教師をしているという。話をきくとなんと!バンド『水中それは苦しい』のメンバーだった竹内さんだ。「なんと!」と言っても知らない人の方が多いかもしれないけど。なにしろパリにはいろんな日本人が棲息してらっしゃるのだ。


そして、そのまま弾丸特急TGVに乗り継ぎ、渋谷を出た20時間後、ついに南仏の古都ニームに到着。天井の高いがらんとした駅で心細く待っていると、出迎えに現れたのは本誌ではおなじみSonoreレーベル総帥フランク。彼に導かれて、先発隊が宴ってるというレストランまで夜道を歩く。


石畳の街にはいたるところライトアップされた神殿や教会、彫刻や像。さすがは紀元前の古代ローマ時代から続くという古都である。荷物抱えて歩くこと10分。まるで古代ローマの闘技場のようなアリーナ(今も現役で野外イベント等に稼働中という)を正面に眺めるオープンエア・レストランで、先発隊が待ち受けていた。


ディレクターのオレリアン君は、日本に住んでた事もあって実に日本語の達者な青年。これまで1年以上にわたり、メールで細かいやりとりを続けてきたので、初対面な気がしない。明日出演の「ドラびでお」こと一楽さんとも、昨冬のプラハ以来の再会だ。あいかわらずの健啖ぶりが豪快。それにもう1組、明日出演予定の女声グループ「バキリノス」。その他に今回、日本から出張して諸々の仲介役を務める西麻布スーパーデラックスのプロデューサーのマイクさん。通訳の方。現地プロデューサー、等々大勢で乾杯。空港からここまで何も食べてなかったのを思い出し、生ビールとブルスケッタ・サラダを注文。野菜の美味さにフランスを感じる。


すぐに24時を過ぎて閉店となり、ホテルにチェックイン。スタッフもアーチストもみんな同じホテルで合宿状態だ。当方は部屋に入り、シャワーを浴びて一息入れたものの、ゆっくり眠る時間はない。明日の午後は早速「狂った一頁」フィルム試写を兼ねたリハーサルがある。すかさず220Vー100V変換アダプターで電源を確保し、愛用ミキサー Mackie1202VLZ-PRO をライティングデスクにセットアップ(これさえ設置すれば世界中どこでもマイスタジオ!重い思いして持って来ても十分モトが取れるタフなマシンなのである!)。これまた重い思いして機内持ち込みで運んできたMacBookPowerBookを起動し、プログラミングを再開。長い一日はまだまだ続く。