新感覚派

WONO2007-02-27



衣笠貞之助『わが映画の青春 日本映画史の一側面』(中公新書, 絶版)


「『狂った一頁』の実験ー新感覚派映画連盟時代」の章で、この映画について衣笠監督自身が詳しく語っています。以下に概略を。


* * *


1926年。衣笠30歳の年、『狂った一頁』のプロジェクトは始まった。


まず俳優時代の先輩であった井上正夫が、無償で出演を快諾。井上は自ら劇団を主宰し、また1912年には映画事情の視察のため渡欧するなど、進取の気風が強かった。その井上が協力してくれた事で、計画は順調に進み出す。


続いて衣笠は横光利一(27歳)に声をかけた。横光の小説『日輪』を以前に映画化した事もあり、彼に脚本を頼もうと衣笠は決めていた。さらに横光は仲間である「新感覚派」の新進作家たちにも声をかけた。川端康成(26歳)ら気鋭の若手が集まった。彼らに共通していたのは、最先端の新興芸術として世間の注目を集め始めていた「映画」というメディアを使って何かやらかそうという冒険心だった。


衣笠は最初、老人とサーカスをテーマにした簡単なストーリーを考えていた。たとえばファーストシーンはこのように始まる。「雨風のはげしい夜、一人の老人がサーカス小屋にたどりつく、天幕が、嵐ではためいて音をたてる。はげしい雨音がする。そして、老人は、人影のない小屋の中へ入ってゆく…」彼は最初、巡業のサーカス一座をまるごと借りきり、テントを張ってそこをセットがわりに撮影しようと考えた。それは、若い頃に旅芸人の一座で巡業を続けていた衣笠ならではの、低予算を逆手にとったアイディアだった。


だが旅館に合宿して皆で話し合っているうちに話はどんどん変わる。最終的にはやがて衣笠が実際に見学してきた世田谷の精神病院(松沢病院)をヒントに、狂った妻とそれを看護する夫というプロットが出来上がった。作家たちの中でそのとき手のあいていた川端が脚本を担当することになった。


まもなく報知新聞の記者がこのプロジェクトをかぎつけ、「新感覚派映画連盟生まれる!」と勝手に名づけてスクープ記事にしてしまう。結果的にはそれが正式なプロダクション名として通用するようになってしまった。また、ストーリーが変更されたために撮影場所はテントでは済まなくなっていたのだが、この新聞記事を読んだ映画会社がたまたま空いているスタジオを貸し出してくれて、撮影がスタートできることになった。


シナリオは完成しないまま、メモ書きしたシーンのアイディアだけでどんどん撮影が進む(撮影が終わってからそのメモを集め、川端が加筆してまとめたものが最終的に脚本として発表された)。スタッフのほとんどは20代だった。役者もスタッフも分けへだてなかった。主演の井上自ら率先し、全員でオープンセットの草むしりから大道具小道具の制作まで汗をかく、まさに手づくりの現場であった。


当時のセットはハリボテ同然のつくりものが多かったが、ここでは全て本物の造作がつくられた。というのも、エキストラにいちいち「この鉄格子はこわれやすいから注意して」などと注文することで芝居に影響が出るのを恐れたからだ。こうして大勢の狂人たちがもみあうシーンなど、迫力たっぷりの映像が生まれた。


映像的には、二重露光やオーバーラップなどの技巧が随所に用いられているのがこの映画の特徴だが、それ以外にも、現場では細かい工夫が考案された。たとえば看護婦など「正気の人」を手前に、後ろに「狂気の人」を配置する構図では、両者の間に紗布を垂らして奥行が誇張されている。


稲妻、踊り子、狂人などを細かくカットバックする冒頭の場面では0.5秒、1秒といった短いカットが次々に現れる。だが編集で細かいリズムをつくろうにも、ムビオラ(編集機)もまだなく、ネガを目で確かめて編集するほかなかった時代である。衣笠はフィルムを撮影用カメラに通した。ファインダー側の蓋を開けて光を入れ、それをレンズ側から覗く。撮影時と同じようにクランクを手回しさせ、映像の流れをチェックする。こうした型破りな方法で、このシーンは編集された。


完成した映画は、当初『狂える一頁』というタイトルになる予定だったが、横光の意見で『狂った一頁』に変更。さらに彼のアイディアで、全篇字幕無しという当時の無声映画としては類例のない作品となった。


だが、映像実験、映画冒険の限りを尽くしたこの前衛フィルムの配給を引き受ける映画会社は、なかなか現れなかった。やっと引き受けたのがアートフィルムの上映館として名高かった「新宿武蔵野館」。本来は洋画専門の映画館だが、主任弁士の徳川夢声が賛成して話は決まったという。本来は無字幕なのだから弁士もいらないはずだったが、夢声は進んで弁士を買って出た。


「ストーリーもその解釈も観客の自由の余地を大幅に残しておきながら、衣笠の画面の雰囲気を盛り上げアクセントをつけ、見終わった後何か納得がいくという離れ技をやってのけた。観客は何かわかったような気がして館を出ていったのだ。夢声新感覚派的映画説明であった」こうして、当代随一とうたわれた夢声の弁舌により『狂った一頁』は完成した。

『狂った一頁』あらすじ
中沢弥(湘南国際女子短期大学助教授)さんによる解説が簡潔でわかりやすいので引用させていただきます。原典は講義録「カリガリ博士とその時代」より http://www.shokoku.ac.jp/~nakazawa/caligari.html#kurutta


 脳病院で小使として働く男はもと船員であったが、その妻は男が虐待と放浪を繰り返したために狂人となってしまう。前非を悔いた男は身の上を隠して妻の入院する病院で小使として働くようになる。ある日母親の見舞いに来た娘は、父親が病院にいるので驚く。娘は恋人との結婚を決意しているが、母親のことを婚約者にどう説明するか迷っている。
 娘の婚約を知った小使は大売り出しの宣伝をするチンドン屋をみて、福引きの一等賞で洋服ダンスを手に入れる夢を見る。その夜、小使は娘の将来をおもって鍵を盗み出して妻を逃がそうとするが、妻は格子のある部屋に戻ってしまう。錯乱した小使は妻を連れ出そうとして病院の院長や狂人たちを殺してしまう幻想を見る。やがて夜も明けてくるが、今度は狂人たちの顔に能面をつぎつぎにかぶせていく幻想を見る。妻にも面をかぶせると彼女は実に幸せそうな顔つきになる。幻想から醒めた小使にさわやかな朝がやってくる。