250分の1

というわけで今も連日『甘作』新原稿書きおろしたり旧原稿の校正したりしてる諸祭神(←うわ、すごい誤植)書斎人のヲノサトルです。


とはいえ、社会人としての勤務もおろそかにはできないのだな。今日も眠い目をこすりながら、大学の講義など行なう。


本日の夕方は、広いレクチャーホールを使って映像音響創造講座学期末提出映像作品中間発表試写会(←うわ、すごい熟語)。早い話が学生のつくった映像のプレビュー。社会派、和製ホラーっぽいドラマ、手書きアニメなど、作風は多彩。 ま、いちばん多いのが身の周りをとらえた心象風景っぽい作風ってのは、例年のことではある。


こういう授業って、それぞれの作品について、ここが良いの悪いの、こーしろあーしろ、と「講評」して終わりという場合が多い。でも、つくり手じゃない第三者による「客観的な視点からのアドバイス」に従って手直ししたところで、作品は良くなるのか? という根本的な疑問があって、今回は個別の論評を避け、そのかわり上映の後、教師陣によるシンポジウムめいたトーク・ショーを開くことにした。パネリストは伊藤俊治港千尋佐々木成明三橋純カスガアキラ、司会が当方という布陣。 出演者的にも話の内容的にも、正直、ICCあたりでやったら入場料がとれる企画ではないかと(笑)


で、話はいずれも面白かったんだけど、いつもながらキャッチーかつフレッシュな話をしてくれる港さんの言葉が今日はとても印象に残った。作品を編集する段階で、何を残し何を捨てるか真剣に吟味するべきだという話題で、「1枚の写真が切り取るのは1/250秒(通常のシャッタースピード)。そして写真家が生涯に残せる作品なんて、多くても250枚ぐらい。って事は、写真家が残す作品は、一生のうちの1秒ぶんの時間だけ」なんだってさ。だからその250枚、徹底的に吟味しなくてどうする、という話なのだが、うーん凄いな、一生の中の1秒ね…。


さて自分は、どれだけの長さの音を残せるのか。