一客入魂


複数の引っ越し業者さんを呼び寄せて、見積もりを依頼する日。結果から言うと、やはり話題の「プロレス運輸」が、ダントツに盛り上がった。


まず見積もり担当者が、入ってくるなり「これサービスです。試合会場でしか売ってないんですよ!」とくれた缶ドリンクが『闘魂緑茶』ってとこからして、普通じゃない。


担当者は部屋の様子を「ふんふん」と眺め、「ここからここまでを20箱に収められたら勝ちですね!」って、勝ち負けか? 引っ越しって… 「大丈夫です。お部屋が狭いからずいぶん荷物が多いように見えますけど、体育館に並べたらこんなのほんの少しですから」って、なんで体育館に並べなきゃならないのか。っていうか広さを表現するのに「体育館」って、あまり日常生活で使わないんだけど。


「とにかく、うちの引っ越しはハンパじゃないですから」え?ハンパじゃない、とおっしゃいますと…?「正直、わかんないんですよねー」わ、わかんないとおっしゃいますと…?「よく、すごく速いって言われるんですけど。その速いって言われるのが、社内ではトロいって言われてる人間だったりしますんで。私どもも、よくわからない」いや、わからないって言われても…。


「なにしろ引っ越しは大変です。下手すると離婚までいきますよ、皆さん」り、離婚ですか?「ええ。引越当日に私どもが玄関入りますと、ものすごいピリピリした表情なんですよね、皆さん。場合によっては荷造り、終わってなかったりして。ご夫婦が険悪になってて、あの人の荷物と一緒にしないでください!なんて奥さんに言われたりしてね。こっちもそんな喧嘩に巻き込まれたくないスから。うつむいて黙々と作業するしかないですよ。だから速いんですかね?」知らないよそんなこと。


とにかく、「引っ越しはプロレスだ!」の名コピーに恥じることない、熱気あふれる営業トーク。さらに「ネット割引に加えて、お子さんいらっしゃるってことで、赤ちゃん割引もなんとかしましょう」「エアコンの脱着も割引で」とバンバン値引きしてくれる。最後に総額を指差して妻がおそるおそる「この半端分4千円も、なんとかなりませんか…」とふっかけてみると「うーーーーん」と苦渋の表情で色々試算したあげく「わかりました!ここは私の名前で。割引しちゃいましょう!」とどこまでもノリが良い。


その営業の熱さ、明るさにすっかり楽しくなってしまい、「即決します」と返事したところ、「それじゃですね」と何やらカタログを取り出してきた。「ロゴ入りの真っ赤なTシャツ、キャップ、それにプロレス運輸トラックのミニカーがありますが」えーと、じゃTシャツを…いやミニカーってのも記念になるかな。「いえいえ、これ全部ですよ。全部さしあげますから」あ、いやそのキャップはいらないんだけど…。


「いやーちょっと前までは、試合のリングサイド・チケットもさしあげてたんですけどね。ほら橋本さんが」あ、こないだ亡くなった…。「ええ、ええ。あの件以来、チケットもプレミアついちゃって。さすがにさしあげる事ができなくなっちゃったんですよ」いや、まあ試合はその、とかこちらが口の中でモゴモゴ言ってる間に「ちょっと待っててください!」と玄関を出て行ったと思ったら「荷造り用に、どうぞ!」と段ボール40個も運んできてくれた。プロレス運輸とでっかいロゴ、そして「パワーエクスプレス!」と、これまたでっかくキャッチフレーズが入ってる(いくつキャッチフレーズがあるんだろう?)


「あ、荷造りテープも、もう1個いっときますか?」ええ、まあ…いただけるなら…「わかりました。ちょっと待っててください」って、額にものすごい大汗かいて息を切らしながら駆け出していったところをみると、4階の我が家から一気に階段駆け下りてまた登ってきたものと思われる。エレベータがあるのにもかかわらず。見積もりもプロレス…ってか!


担当者が帰った後も「すごいよねプロレス運輸!」「うーんやっぱり大事なのはノリだよね。人柄だよね」と夫婦二人でげらげら笑ってしまった。めんどくさいなあどうしようかなあと鬱々していた引っ越しが、今日の見積もりだけでやたら楽しくなってしまったのだから、これは良い買い物だったかもしれない。


ま、引っ越し自体が上手くいくかどうかは、また別の話なんだろうけど。