新しい夏


ホテルを11時にチェックアウトする。既に日差しが強い。舗道を歩くだけで、背中に汗が滲んできた。思わずクーラーの効いた書店に飛び込む。新刊本など眺め、時間をつぶし、気づくと11時半を少し回っている。あわてて新梅田食道街へ。「松葉」の暖簾をくぐる。


開店からたかだか2、3分の間に、常連とおぼしきオヤジたちでカウンターは埋め尽くされている。そこに「すんません」とつぶやきながら、肩を半身に押し込んで場所を取る。ほとんどが一人客。話し声もなく、店内に流れるラジオの競馬ニュースが独特の雰囲気を醸し出す。初めてこの店を訪れた10年前と何ひとつ変わらない。そこが、いい。


店員が顔をこちらに向け「飲み物なんにします?」と聞くか聞かないかのタイミングで「瓶ビール。あと、豆腐」と答える。間髪入れずに中瓶が目の前にトンと置かれる。それを手酌でコップにトトトと注ぎ、喉に直角にクーッと流し込む。「プハァーーッ!」酒は酔うだけのためにあるのではない。キンキンに冷えたビールでキリッと目を醒ます、こんな朝も(昼か)オツなものだ。目の前に大盛りされたキャベツを1枚抜いてかじりながら、さて何から行こう… と考えるこの時間がたまらない。 目の前に「はい、トーフ」と、冷や奴が置かれた。


そういえば、この前来た時は湯豆腐だった。ここの湯豆腐ってのが、絶妙にシコシコした固さなんだ。しかし真っ黒な汁にドップと浸かった絵ヅラには、最初「これはちょっと醤油かけすぎなんじゃないの?」と不安になるが、ナニ濃いのは色だけ。さすがは大阪。絶妙のダシ味で薄ら甘じょっぱいこのタレが、豆腐にぴったりなのだ。いや豆腐をスポンジ代わりに、このタレを味わうのがメインと言っても良い。ネギ、ショウガ、唐辛子をたっぷりかけてこいつをパクつくと体が芯からあったまる。というわけで冬場この店に来る客のほとんどは、カウンターにつくなり何らかの酒に加えて、この「トーフ」を注文する。


しかし、冷や奴には残念ながらそれほどのありがたみがない。ツルッと冷たい感触は、確かに熱い食い物の合間に口中をさっぱりさせる箸休めとして、もちろん悪くはないのだが。寒い戸外から暖房の効いた店内に飛び込む、冷たいビールを流し込む、熱い豆腐を頬張る…という「寒、暖、冷、熱」の往復リズムが作り出す心地よいトランス感覚において、どうしても冬の味覚に軍配は上がらざるをえない。


が、しかし、冷や奴。つまり、また夏が来たってことなんだよな。…と思い直す。正月やクリスマスではなく、誕生日でもなく、梅雨が明けて夏が来た時に「ああ、1年過ぎたんだな」と思うのが、当方の感覚。


そういえば高校生の頃、「ネロ」という詩を読んだ。(後で、これは谷川俊太郎氏が18歳の時に書いた処女詩集「20億年の孤独」の中の作品だと知った)死んだ飼い犬を悼むこの詩の中の

ネロ
もうじきまた夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
また別の夏
全く別の夏なのだ

というフレーズが好きだった。


そうなんだ。詩人にやってくる夏はネロのいた夏ではないだろうし、僕にやってくる夏は「去年の僕」がいた夏ではない。これからやってくる今年の夏ももう2度とは訪れないんだよなぁという淋しさが、さあ新しい季節がやって来たぞとワクワクする高揚感の中に、最初から織り込まれている感覚。


それは、キャッホー海だぜ!と海水浴に繰り出すそのとき既に、夏の終わりの寂れた海の家の絵ヅラが透けて見えているような、明るさと切なさの同居。しっとり落ち着いた秋も、寒く冷たい冬も、全てが溌剌と動き出す春の陽気も与えてはくれないそんな陰影が、夏という季節にはある。

新しい夏がやってくる
そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
美しいこと みにくいこと 僕を元気づけてくれるようなこと 
僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと


いったい何故だろう、いったいどうするべきなのだろうと冷や奴に向かってブツブツつぶやいていると「はいウィンナ−、イカ、レンコン」目の前のトレイに串がテンポ良く並べられた。そうだここは串カツ屋だった。


我にかえって一串とり、カウンターのソース缶にドブンと浸けてかじりつく。「…あふ、あふふふ」生半可な熱さではない。さっそく上顎をヤケドしたようだ。あわててビールで口の中を洗う。はふう。キャベツを1枚、これもソースに浸してポリポリかじる。


このキャベツって奴が良いんだよなあ。次に何を食べようかと考える間、いや「何を食べようか考える間」と「カツを飲み込んだ直後の何も考えてない間」との間の、本当の意味で空白な時間を埋めるのに、これほど最適な食べ物はない。自分のリズムをとりかえす時間。投手にとってのロージンバッグのような。違うか。


キャベツには別の使い方もある。串カツ屋では「2度ヅケ厳禁」すなわち1回ソースにつけた串をもう1度ソースにつけるのは御法度、というのがセオリーなのだが、そうは言っても「しまった、つけ足りない!」という時はある。そんな非常時には、キャベツですくったソースをカツにチョピッとかければ良い。吸水性の良い青菜ッ葉じゃ、こうはいかない。表面ツルッとして水分をはじく、ざく切りキャベツならではの使い方だ。キャベツが千切りであってはいけない理由も、ここにある。(と勝手に憶測する)


ほのかな甘み。カリッとした歯ごたえ。カツの衣が口から奪う水分を補う意味でも、タンパク質と油脂を中心とする串カツのやや偏った栄養バランスに対してビタミンと繊維を補給する意味でも、串カツの相方はキャベツ以外ありえない。適材適所とはこのことだろう。


と、キャベツに向かってブツブツブツブツつぶやいていると揚げたての串が来た。「はい玉ネギ、うずら、茄子」はいはい食べますよ。食べなきゃ。いや義務じゃないんだけどさ。なにせ熱いとこ、いっとかなくちゃ。はふはふはふ。熱ツツツ。ビールビール。ごくごくごく。ふうう。どれ、またキャベツで間をとって、と…。


いや美味いな。これで1本100円ってんだから、ありがたいじゃないの。妻にも食わしてやりてぇなぁ。子どもには、さすがにまだ早いよな。ははは。そりゃそうだ赤ん坊に食えるわけがない。って、ちょっと酔ったかな。昼酒は効くっていうものな。しかし、食べたらすぐ新幹線、乗って帰らなきゃな。帰ったらいろいろやる事あるからな。でもあと一串ぐらいの時間は大丈夫だよな。けっこう仕事たまってるんだよな。あれ、ちょっと酔ったかな。「あ、お兄さん、こっちにウィンナーもう1個ちょうだい! 」


ともあれ今年も、新しい夏がやってくる。