観れば観るほど馬鹿になる


というわけでグラインド・ハウス第2弾=完結編の『プラネット・テラー』観てまいりました。やっぱロドリゲス最高!今度は1人でレイトショーという、この映画の鑑賞法として最も正統なパターンで。ただし場所が前回同様の六本木シネマだったので、どうしても上品すぎる「場のオーラ」が邪魔ではあったが。こういうのは三軒茶屋あたりの古びた二本立て上映館(三宿に住んでた頃は毎週こんどは何やるかなーとワクワクしながら通ってました)で観るのが最適だという事は、わかっておるのですが。


これを観たらタランティーノの作風が知的に思えてきた。というぐらいだから、どれほど馬鹿度の高い映画か、推して知るべし。まあロドリゲス映画に関しては、たとえば『デスペラード』冒頭でカウンターを歌い歩きながら悪党を蹴散らすバンデラスの映像一つとっても国宝級の馬鹿度だと既にわかっていたわけだが。


それにしても。最低1分に1回はポップコーンを口から吹き出しながら「おいおい!」とツッコミを入れたくなるこの展開力はどうだ。まるでハリウッドのブロックバスター映画なみのスピード感ではないか!当方としては、言葉の真の意味で「スクリューボール・コメディ」と呼びたい。あるいは「スタンダップ・コメディ」と呼んでも良い(ゾンビたちがノロノロと立ち尽くす絵ヅラが延々と続くから)←誤用


その点では、『デス・プルーフ』のように、ダラダラと退屈な会話シーンが続き(そしてそれはストーリーの伏線でも何でもなかったりする)、登場人物が主役の背後で意味ありげな目配せを交わし合ったりする(これもストーリーの伏線でも何でもなく単に意味ありげなだけ)ヌルい展開の方が、グラインド・ハウス(日本で言えば、深夜の映画館だの午後の半端な時間の東京12チャンネルの洋画劇場だのにふさわしい、B級映画の世界)本来の姿に忠実かもしれない。




以下、観賞後しばらくたった今も記憶している馬鹿ポイントを思いつくままに記しておく。記憶違いがあるかもしれないが、そんな事はどうでも良いでしょう。ですよね?


(以下ネタバレ)


・大前提として、血みどろな場面をこれでもかと展開するためだけのゾンビな設定にもかかわらず、「軍隊の細菌兵器がどうたらこうたらして、街にゾンビがあふれる状態になった…」という、これまで映画史において100万回以上も使われてきた本当にどうでも良い言い訳をわざわざ用意する律儀さ。


・音楽に乗ってこれ見よがしに踊るストリッパー(主人公)を、舐めるようなスケベ視線で撮るカメラや撮影クルーの姿が、そのままストリッパーの背後のミラーに写りこんでしまっているオープニング・シーンの、計算し尽くされた詰めの甘さ。


・タフな軍人という「いかにもブルース・ウィリスっぽい役」で出てくるブルース・ウィリスが、ほとんど何も演技しないうちにゾンビ菌におかされて顔面崩壊していくだけの贅沢なキャスティング。


・観客の気分を悪くするためだけに、ゾンビ菌にヤラれた患者の舌にできた膿をわざわざブチュッと潰して自分の顔面に汚汁を浴びる、不用心な医者。


・主人公の元恋人エル・レイは一見フツーの若者だが、何の説明もなく戦闘能力がむやみに高い。後ろから飛びかかってきたゾンビとかをバシッ!バシッ!と平気な顔で殺戮していく。その軽やかな挙動と大げさな効果音は、ほとんど80年代の『ひょうきん族』のコントのように軽快。


・しかし周りの人間は「お前があの“エル・レイ”か…」などと驚愕したりするので、彼はどうやら伝説の人物であるらしい。だが、その理由は映画の中ではもちろん全く明かされない。誰なんだお前は?エル・レイ。


・誤認逮捕されたエル・レイ。逮捕した保安官が最初は彼を全く信用しないが、やがてゾンビに対して共に立ち向かう(ほのかな友情の芽ばえ)という、望月三起也のマンガのような野郎ロマンを感じさせる展開。


・その保安官と弟のバーベキュー料理人JTが仲間を守るために死を覚悟して残留するあたりの描写は、映画史に残る陳腐さ。これまでの登場シーンでは必ずバーベキューソースの味について言及してきたJTと、しつこいほどそのレシピについて尋ね続けた保安官。このシーンで血だらけになりながらJTが「レシピは墓場に持っていくぜ」とうそぶき、保安官が「それもいいさ… お前は弟だからな」とニヤリと笑う。といった心底どうでもいいやりとり。


・前後するが、それより前のシーンで死体の血をペロリとなめたJTが、平幹二郎のように深刻な顔で『そうか!俺のソースに足りなかったものは”塩”だ…!』とつぶやくシーンの馬鹿馬鹿しさも特筆すべき。


・女医が子供を車に残していく時、護身のために銃を与えつつ「自分に向けてはダメよ!」と言うが、子供はその言葉通りに自分を撃ち、あっさり死んでしまう。もちろん観客を嫌な気分にさせるためだけに。


・足をゾンビに食われた主人公。すかさず義足代わりに棒をつけてみたりマシンガンをつけてみたりしてただちに歩行できる体力と、痛覚の無さが超人的。そのマシンガンも、引き金を引かずとも気合いを入れると撃つ事ができる仕様なのは、『スペースコブラ』の“サイコガン”へのオマージュか?


・そんな主人公がしばしば口にする「無駄な特技」が、後できちんと伏線に使われる律儀さ。たとえば「無駄な特技その33 “体が柔らかい”」のおかげで、主人公は砲弾が飛んできてもクニャッと背中をそり返らせてそれを避けるのであった。


・全体的に、銃弾で顔面を吹き飛ばされたりトラックにバキバキはね飛ばされたりして容赦なく死んでいくゾンビたちをこれでもか!これでもか!と見せつける過剰なサービス精神が、兵士の無惨な死に様を必要以上にリアルに描いて観客の吐き気を誘った『スターシップ・トゥルーパーズ』のヴァーホーヴェン演出と同質の変態性を感じさせ、すがすがしい。


・顔面と金玉を腐らせて死ぬためだけの役でタランティーノが出演するのも微笑ましい。一種の『スターかくし芸大会』といったところか。

…といった数々の美点はさておき、つまりは『デス・プルーフ』同様、汚くて野蛮な男どもを女性が蹴散らして勝つ!というストーリーなので、女性客が最後にスカッとできる映画である事は間違いない。途中のグチャグチャニチャニチャした血みどろ描写をどうせ作りものなのだからと笑い飛ばせる方に限定はされるが…



唯一、残念なのは『グラインド・ハウス』連作がこれで終わりって事だ。毎週、いや月に1本で良いから、こういう映画を観て心をなごませたいのに。