DJバカ一代

WONO2007-08-20



九十年代初頭、<ゴールド>のフロアに漂っていたド変態ヴァイヴが、現在のクラブ空間には果たして存在し続けているのか?あのディープ&ド変態な血を絶やしてはいけない!失われたヤバいヴァイヴをフロアに取り戻したい 宇川直宏





DJバカ一代

高橋 透, リットーミュージック, 2007


これは50歳で今も現役のスーパーDJ・高橋透さんが半生をふりかえる自伝だ。(詳しい内容については既にたとえばこのようなレビューもある)


世にDJ論やDJ文化論は数あれど、では当のDJがいったい何を考え、どのように暮らしたり働いたりしているのかという現場レベルの「一次資料」となると意外に少ない。そんな中、本書は臨床記録のような克明さで「人はいかにしてDJになるのか?」を活写した、貴重な証言資料と言って良いだろう。


その資料価値を支えているのは、数々の詳細な記録=記憶。写真、地図、図面、人名や固有名詞、様々な事件とその年代、果ては当時のDJのギャラ金額だの、月に何枚いくらぐらいレコードを買ってたかだの、「よくおぼえているなー…」と感心させられるほど細かく積み上げられた「証拠」が、時代の空気を実にリアルに感じさせてくれる。


地方の若者が上京して修行し、海外でさらに修行し、やがてビッグなプロジェクトに関わっていく……という著者の半生は、高度経済成長時代のいかにも典型的なストーリーと言って良いだろう。そしてそれは、日本の若者文化=夜遊びカルチャー全体の「右肩上がりな成長」というストーリーと完全にシンクロしていた。


アメリカ」に対する若者たちの渇望。輸入文化としてのソウルやファンク。「ディスコ」の全盛時代。ハウスミュージックへのパラダイム・シフト。巨大化していくクラブカルチャーとバブル経済……本書は、こういった「時代」とその「空気」の変遷をDJの現場から定点観測した、一種のドキュメンタリーとして読む事もできる。


とは言え、本書の真の主役は、実は著者が深く愛した2つの伝説的な「ハコ」かもしれない。その一つはオーディエンスとして通いつめたというNYのクラブ<パラダイス・ガレージ>。


「今考えれば<パラダイス・ガレージ>はダンスクラブの学校のような場所だった。<略> 同じ時期に、マスターズ・アット・ワークのルイ・ヴェガや、ケニー・カーペンターなど、ありとあらゆるDJが生徒として踊っていたのだ。<略> いわばラリーが先生で、みんなその授業を楽しみにして行っていたわけである」(p.186-187)


と著者が熱く語るように、レジデントDJのラリー・レヴァン(その後、急逝した)はハウスDJスタイルのオリジネイターとして、今なお世界中のDJにリスペクトされる存在である。本書では当時の状況が、これまでしばしば語られてきたような客層や雰囲気といった話題だけでなく、ラリーのDJスタイルの分析や、それによってどのような感動が創出されたかという音楽的側面からも語られている。


とりわけ著者が2度遭遇したという、先が読めない強烈な音の暴力でフロアを凍りつかせる「狂気の日」の描写は、単に快楽的なミックスで聴衆を盛り上げ楽しませるだけではない、DJという行為の暗黒面(宇川直宏ふうに言えば『ヤバいド変態ヴァイヴ』といったところか)を示していて、興味深い。


そしてもう一つの「場」=著者が立ち上げから参加した伝説のクラブ<ゴールド>に関する様々なエピソードが、本書いちばんの読みどころだ。


バブル頂点の1989年12月、東京芝浦に生まれた巨大クラブ<ゴールド>。NY直輸入のスーパー・サウンドシステム。直径1mの巨大ミラーボール。地上7階建ての倉庫を丸ごと改造し、総工費は15億円!全てが空前絶後の規模であったが、その理想は著者が<パラダイス・ガレージ>から受け継いだものであった。それは、それまでの日本にはなかった「サウンドの快楽」をとことん追求するクラブというコンセプトだ。


実際(ここからは当方の経験談になるが)当時、一足先に「ゴールド詣で」した友人に「どうだった?」と尋ねると、異口同音に「とにかく音が良かった!」と熱く語るではないか。あわてて当方も駆けつけたところ、音量・音圧はかつてないほど大きいのに不思議と疲れない、ファットで温かな音に感動したものだ(もちろん巨大なスケールや倉庫むき出しな内装のクールさにもヤられたけど)。そしてその空間の何でもありな猥雑さ、何が起こるかわからない妖しさが、麻薬的な魅力だった。


中でも記憶に残っているのが、本書でも触れられている「エコ・ナイト」だ。アメリカ西海岸のアンビエント/チルアウト系カルチャーと連動して「サイバー美学」を提唱してた武邑光裕氏がオーガナイズする、クラブカルチャーのまさにアンダーグラウンドな「カルチャー」性を強調したパーティだった。ハウスともインダストリアル・ビートともつかない冷徹な音響空間の中、ピアッシングやボンデージのパフォーマンスが行われた『ボディ・アポカリプス』には、サイキックTVなどいわゆるノイズ系ミュージシャンが来日出演していた。


当時はまだまだ現在のようなダンスミュージックのジャンル細分化が進む前のことでもあり、ここではハウス、テクノ、ニューウェイヴやボディビートからノイズまで、分けへだてなくアンダーグラウンドな音楽に出会うことができた。<パラダイス・ガレージ>が著者にとって「学校のような場所」だったように、著者がつくった<ゴールド>も、当方をはじめとする多くのオーディエンスにとって確かに「学校」であったのだ。


第1章: ソウルディスコに魅せられて (1975-1980・東京)

第2章: ダンスクラブ [ザ・セイント] の奇跡 (1980-1981・NY)

第3章: クラブへの移行とニューウェーブ旋風 (1981-1986・東京)

第4章: [パラダイス・ガラージ] とハウス創世記 (1986-1989・NY)
第5章: 巨大クラブの金字塔、芝浦 [ゴールド] (1989-1995・東京)
Epilogue: <ゴールド>の精神を今に伝える