展示についての展示


オープンキャンパス。ひらたく言えば大学が外部に向けて「うちらこんなんやってまっせ」と宣伝する日である。


ちょっとした学園祭みたいなもので、学内のあちこちで、各学部各学科が競いあうように作品を展示しまくっている。制服着た高校生なんかがカタログ片手にきょろきょろと廊下をうろついている。現役学生も他科の作品を観にうろついている。卒業生の姿もちらほら見える。そういう日である。


この2週間ほどは今日の準備のためか他の授業の出席率も悪くなってたりして、つまりはこれを過ぎたら夏休みという日でもあり、各クラスそれぞれ展示現場で公開講評会をやってたりもして、要するに学生が前期の成果を評価される緊張と陶酔の日でもあるのだ。学内にあふれる祝祭感。悪くない。


当方の関わっているところでは、担当しているVACクラスの毎年恒例インスタレーション展示があるので、午後は情報デザイン棟に視察に行く。受付に集っている学生の顔を見ただけで、設営に費やされた知力・体力・時の運も、集団作業の辛さも楽しさも全てにじみ出ていて、作品を見ずに帰っても採点できるような気がするが、それはそれ、一応ちゃんと入場して作品を検証。


今回の展示は「架空の民族を設定し、その民族に対する架空のチャリティ展示を行う」という2段構えのフィクション。もちろんタネを知らずに見ると「へーそんな民族がいるのか…」とシリアスに見入ってしまい、最後のタネ明かしで「なんだい全部ネタかよ!」と笑わされる…と、そういった趣向のインスタレーションである。


もちろん偽ドキュメンタリーってのはアートの世界じゃ昔からよくある手なので、なにしろ一つ一つの制作物の完成度が勝負となる。その意味ではところどころに破綻もなくはないし、オチがわかりにくいという最大の欠点もあるものの、まあともあれ短い期間によくぞこれだけ作りましたって感じで、ひとまず安堵感が先に立つ。なにしろ、いかにも学校学校した単なる教室を、内壁まで作りこんで美術館めいた空間につくりかえた根性が良いじゃないか。


せっかくだからと他のコースや学科の展示もひと通り観たうえで、放課後は会場にクラス全員と講師3人がそろって講評会。甘やかすわけではないが、当方の講評は良い話だけにした。ま、悪い点なんざ、どうせ既に嫌というほど反省しているだろうしね。


「この建物の他の展示全ての中で、この展示がNo.1だ!」


「うぉー」と盛り上がる学生たちに、しかし一応は釘をさしておく。「ただし、奇麗にできているとか一つ一つのモノが良くできているという話ではないよ」と。


奇麗にできている作品や、一つ一つのモノが良くできている作品、つまり「美術品」としての精度の高い作品は、もちろん他の展示の中にたくさんあった。しかしそれらの全ては「自分がどれだけ良い作品をつくれるか」というレベルで完結している。「それを他人がどう見るか」「どう解釈するか」まで含めて「作品」を仕掛ける立場、すなわち「メタ美術」的な視点は、このクラスの展示が最も明確に訴求していたと思う。


いや、メタ美術以前の話かもしれない。時間をかけ細部にこだわって作ったとおぼしき立体作品が、ズサンな照明の下に転がってる姿は悲しい。優れた研究内容のプレゼンテーションが、そのへんの紙にササッとプリントアウトされ、いかにも適当な間隔で壁に貼り付けられている様子は寂しすぎる。せっかくの作品のすぐ後ろにパーティション代わりの段ボール紙がガムテープで貼られ、隙間からそこに押し込めたゴミや不使用機材がチラチラ見えるのは、貧乏臭すぎるではないか。いや、どれも印象で語ってます。実際どこがそうだったかと問われると困るが、そういったノリの展示に目が行きがちだったのは事実。


学校での展示なんだから美術館みたいにはできないよ、なんてのは言い訳であって、実は「"展示"それ自体は個々の美術作品の外側の問題で、作品そのものの価値とは関係ない」という無意識の思い込みが、そのような展示を許すのではないか。展覧会に便器を展示してアートの新しい展開を生んだマルセル・デュシャン…なんてのは古すぎる例だとしても、「場」や「文脈」や「観客の視線」との関係性こそが作品に意味を与えるというのは、現代アートの常識ではなかったか?


といった意味で、VACクラスは「架空の展示」というコンセプトの結果、「”展示”とは何か」「"展覧会"とは何か」つまりは「美術という制度とは何なのか」についての作品となった。いや、ならざるをえなかった。だから展示空間そのものにもこだわらざるをえなかった。そこを指して「No.1」と決めつけたわけである。弟子贔屓と言わば言え。ここは大学だ。優れた芸術作品が作れるかどうかよりも、芸術の仕組みについてどれだけ深く考えられるかの方が重要というのが、当方の考えだ。


そんなわけで講評後は、その場にて気持ちよくオープニングパーティ。何かをやり切った後は「宴」。これはアートだろうと音楽だろうと古今東西、絶対にやらなくてはならない儀式なのである。


では皆さん、良い夏休みを。