まだ風邪

WONO2007-05-10



風邪のまま今日は映像論の講義。扱うのは韓国映画JSA」というわけで、あらためて朝鮮戦争の歴史や38度線の問題などリサーチして臨む。リサーチすればするほど、米vsソ、いや資本主義vs共産主義というイデオロギーの代理で一つの国民が敵味方に分かれて戦わなければならない不条理が悲しい。その後のインドシナ半島、アフリカ、南米、バルカン半島、中東…わかるのは、人間は歴史に学習など全然しない生き物であるという事だ。


自分ごととして考えてもらうために「もし同じ事が日本列島に起こっていたら?」というシミュレーション地図を作って見せた。いや実際ポツダム会談では連合国による日本の分割案ってのが出ていたらしいからね。南北…いや東西の境界線は、面積的には神奈川あたりなんだろうけど、心理的にはやはり名古屋あたりか。ソ連統治下の「東日本人民共和国」では吉本のお笑いも宝塚歌劇も禁止。一方アメリカ統治下の「西日本民国」ではジャニーズ、ホリプロナベプロなどの芸能タレントを観たら死刑!とまあそういうブラックジョーク的状況なんだよなあ何十年も実際に。彼の国は…


で次のデザイン論ゼミでは、文献調査のお手本として短い文章の要約を3本ほどやってみせる。段落ごとに要約し、段落と段落の関係を図式化して、文章全体の意図を結論づける作業。


よく国語入試問題なんかで「作者は何を言いたかったのか、◯字以内で述べよ。」なんて問題が槍玉に上げられて「そんなのわかるわけないだろ」「作者自身だってわかってるとは限らない」「そもそもテキストとは"開かれた"存在である」…等々と批判されるが、いや確かにそれはそうかもしれないんだけど、そこまで厳密な話をし始めたら全ての文章は「詩」として解釈するしかない。


作者が本当に「言いたかったか」どうかなんて心理状態の話になると、そりゃあエスパーでもない限り読み解けるわけがない。だが、文学作品はさておき、少なくとも論文や説明文に関しては、論者は自分の主張をなるべくわかりやすく過不足なく伝えるために「言葉」という素材を使って「文章」という建築を組み立てているにすぎないわけで、逆の手順でその建築物をバラしていけば、もとの意図をデコードする事は十分可能なはずだ。それでデコードできなかったとしたら、それは単に書き手のエンコード(作文)にバグがあったというだけのこと。


今日言いたかったのは、つまり学問研究における文章読解力ってのは、「文学」とか「読書」といった言葉が持つロマンティックでペダンティックでエモーショナルな世界とはおよそ無縁な「情報としてのテキストの解析」にすぎなくて、だからこそ誰でもできる単なる技術にすぎないんだよ、って話だったんだけれども……伝わったかどうか。


授業後はすかさず京王線から大江戸戦に乗り継いで六本木に向かう。しかし新宿駅六本木駅も、大江戸線は深すぎ!(怒)地上の建物にしたら4、5階分ぐらいあるんじゃないか?乗っても乗っても着かないエレベータでずーっと右側を走り汗だくになる。


汗だくでトラウマリスに駆け込み、今夜はブラックベルベッツの定例ライヴ。なにせ風邪がひどいので、演奏の合間はマスク。飲み物もシャンパンの乾杯以外は、ホットラムで喉をいたわる程度。


しかし病院でもらった薬は全然効かないなー。もしや何か別の病気?はしかとか?(関係ないか)