仏旅 第2日

WONO2007-04-24


そんなわけで、作業しては耐えきれず数十分ベッドに昏倒しては「いかんいかんいかん!」ガバッと飛び起きて作業、といった末期受験生的状態で朝まで過ごしてから、9時頃ホテル1階レストランへ降りて行き、フランクやオレリアン、他の出演者たちと顔を合わせ、コーヒーやパン、ハム、チーズといったコンチネンタルな食事で自分にカツを入れる。


部屋に戻って再び作業の後、11:00頃に通訳の方が迎えに来たので、ホテルを出て機材を運びつつ劇場に向かう。今回は多数の日本人アーティストが参加のため、近辺在住の日本人の方が数人、通訳として手伝って下さる事になっていて心強い。ここで、新聞とフリーペーパーの取材を受ける。通訳の助けがあるのを良い事に、好き勝手べシャリまくる。


いきなり「日本にはタケシ・キタノやブトーのようなクールで洗練された文化と、マンガやアニメなどのにぎやかで低俗な文化があるようですが、今回のコンサートはそれらの間でどういった存在ですか?」と聞かれたので、すかさず「日本には、欧米のようなハイアート/サブカルチャーの階層=階級的構造が存在しない。あらゆる要素が等価に羅列されるフラットさこそが日本文化の特徴なのです」などと椹木野衣さんの受け売りで煙にまく。また「日本で流行しているという”コスプレ”とは何か?」と聞かれたので「それは、古くは江戸時代の歌舞伎やその熱狂的な観客にも見い出す事ができる、日本の大衆文化に伝統的な風習です」とかなんとか口から出まかせを。さらに明和電機について「それはギルバート&ジョージのようなアイロニーをもって日本のサラリーマン社会を表現し…」などと語っていたらインタビューアが「???」という顔になってきたので、あわてて「とにかく、このフェスティバルは日本からやってきた愉快な移動式遊園地です。ニームの皆さん、観ニ来テクダサイネ!」などと、なぜか片言の日本語になりながら無難な宣伝で話をまとめた。


インタビューが終わったので、ちょうどそちらもリハが終わった一楽さん、それにオレリアン、マイクらとエキソニモのアパートに遊びに行く。エキソニモは男女2人組のアーティストで、音楽イベントのこのフェスティバルで唯一の「アート」担当。市内各所に端末を仕掛けインタラクティヴなメディア・アートを展示するため、1週間ほど前から近くのアパートを借りて滞在制作を行っている。実は彼らとの出会いはけっこう前のこと。2000年に名古屋で開催されたイベントにレクリプで出演した折、当方とアリマは名古屋の前林さん宅にころがりこんで合宿状態で準備を進めていたのだが、エキソニモもなぜかそこに居候していた、いわば合宿仲間(?)。その後の彼らがネットワーク・アート界のスターとして着実に実績を積み続けているのは知っていたが、再会するのは実に7年ぶり。


ま、しかし、気さくで人の良いところは全く変わらないこの2人。今日は近くの市場でムール貝を買い込み(なんと2ユーロ/1kgですと!!!)バターで蒸して豪勢な料理を提供してくれた。青空がおがめるパティオにテーブルを出し、ビールと白ワインで南欧風のランチパーティと洒落こむ贅沢な時間。この新鮮な味となごんだ空気には、どんな三ツ星レストランもかなわないね。昨夜は少し固い表情だったオレリアンも打ち解けてジョークをカマし始めた。すかさず「オレリアン、でも目が笑ってないよ」とツッこむと「え!そうですか?」と真剣に悩むあたり、まだまだではあるが。そしてスーパーデラックスのマイクは、趣味が高じて「東京エール」を作ったほどの酒豪。その飲みっぷりに惚れ、たちまち意気投合。


そんな至福の時間を切り上げ、14時に劇場に戻ってリハーサル。空いているスタジオに映写機とスクリーンを設置してもらって、実際に『狂った一頁』の上映を行いながら、これまで作ってきた音をその画面に合わせてみる作業だ。やってみたところ、映画は、やはり持っているDVD素材とは微妙に尺が違った。(先日の東京での上映版とも違うようだ)フィルムリールをいちいち止めて巻き戻すのもアレなので、最初から最後までノンストップで流しながら、尺や細部の検討事項など気づいた事はどんどんメモする。これでまた本番までの宿題がたくさんできてしまった。が、当日リハだけでなく、1日前にこのチェック時間を用意しておいてくれたオレリアンには感謝しなければ。


リハ時間を使い切って荷物をたたみ、また重い機材をかついでホテルに戻る。この界隈、さすがはローマ時代からの小路らしく、道が決して直角に交わらないうえ、似たような商店がぎしぎしと並ぶ設計(?)なので、道オタクの当方にも構造がなかなか解読できず!さっそく道をまちがえ、ものすごく遠回りしてしまう。機材バッグの食い込んだ肩と石畳をさまよい続けた足が痛い。ホテルで仮眠でもと思って横になったが、時差の都合か、どうにも眠れず。結局うだうだしただけで19時頃、夜の公演を見物するため再び劇場に向かう。先ほどは荷物があって入れなかったショップ(子どものおもちゃ屋とか)のぞこうかと思ったが、ほとんどの店はもう閉店しているようだ。この街、子ども連れで歩いてる人がすごく多いし、子ども服、靴、おもちゃなどのショップもよく見かけるので、妻子を連れて来てたら楽しかったろうになあ、と家族のことを思う。


それにしても暑い!ほとんど真夏の陽気。そして日が長い。日没が8時半ぐらい。裏通りの店は2、3軒に1軒ぐらいの割合で通りにパラソルとテーブルを出しており、腰掛けた大人たちがワインやらビールやら傾けている風情が楽しい。若い者は街路のあちこちになんとなく座りこんでたりする。アジアだろうとヨーロッパだろうと共通な「南」の空気、一日でいちばん心地よい夕暮れの時間が、ここではずいぶんゆったりと流れる。


劇場はロビー2Fがバーラウンジとなっている。このイベントのために東京でアー写を撮ってもらった写真家アルバンさんが来てたので挨拶。ロビーをぶらついていて、ふと見ると乾さんが立っているか。彼はアート系の企画制作を行うボストーク社のプロデューサー。数年前に銀座ハウスオブシセイドウのオープニングで『唐草』映像を制作したのが最後にご一緒した仕事だから、ずいぶん久しぶりの再会だ。そんな流れで、乾さんと隣席でパフォーマンスを観る事となった。客層は、ま、ある程度お金があって、知的な素養があって、年齢も一定以上、というあの感じ。ここ「シアター・ド・ニーム」は日本で言うとそうだな、東京文化会館みたいな雰囲気で、プログラムをみたら普段はオペラやらちょっと洒落たジャズ・コンサートやら演ってる感じだったので、おそらく会員として毎公演を観に来るタイプのお客さんも多いようだ。


このフェス全体のトップバッターともなるバキリノスは、初々しいアカペラ女声2重唱。東洋的な衣装や童歌ふうのオノマトペで全体テーマの「実験的日本」感を描き出し、温かい拍手を受けていた。続く「ドラびでお」は爆音のドラミングをぶちかます。耳をふさいで1曲目ですかさず帰る人もいれば、大丈夫かと思うような年輩の爺さんがノリノリだったりして、観客の反応は両極端。「マツケンサンバ」ネタあたりで観客の盛り上がりがピークに。最後は2回のアンコールとスタンディングオベーションで大成功。


終演後、ラウンジでレセプション。日本メニューってことで、スーパードライビール、寿司と焼き鳥(どちらかと言えばアジアの"サテ"って感じの)が提供されたパーティ。立食だが、乾さんやエキソニモ、マイク、一楽さんたちと、その辺のテーブルを寄せ集めて「関係者席」を勝手にしつらえ、酒盛り。ホテルへの帰り道では、古代ローマの遺跡に映像をプロジェクションするエキソニモの野外展示も観られた。よっしゃこのまま外で飲もうぜ!と盛り上がるマイクたちと別れて、当方はホテルへ。部屋に戻って作業再開! …と思ったけど、うっかりベッドに横になったらそのまま眠ってしまって「しまった!」と飛び起きたら朝4時。夜明け前から、またライヴの準備作業を始める。