ワールド・ミュージック

WONO2007-02-16



先の『アフリカ音楽の想像力』を補完する資料としてこれも挙げておこう。




ユリイカ 総特集ワールド・ミュージック
音、共同体、テクノロジー
ユリイカ臨時増刊, 青土社, 1990年4月




本誌でワールドミュージック代表として取り上げられているジプシー・キングス、3ムスタファズ3、ナジマ、サリフ・ケイタ、マラヴォワ、ブルガリアン・ヴォイス…なんてラインナップの数々に、思いきりメディアに乗せられまくって今はなき六本木WAVEでこれらぜんぶ買ったりしてた自分を思い出して、ああもう実にこっぱずかしい。まあともかく、ほとんど今の民放TVの番宣並みの強引さでキャンペーンされまくってた当時の「ワールド・ミュージック現象」を知らないお若い方には、とりあえず追体験するのに手頃な1冊としておすすめしたい。古本屋で探して下さい。



その中から『アフリカ音楽の想像力』に関係の深そうな論考を2つ紹介したい。

『さあ、一緒に踊ろう!』 西江雅之言語学者 
『Tupige ngoma』というスワヒリ語は「さあ、一緒に踊ろうよ!」という意味を持つが、文法的には「踊る」という言葉は入っていない。直訳すると「我々は太鼓を打とう」という意味。このように、アフリカには「ダンス」や「音楽」を直接さす言葉を持たない言語が多い。逆に言えば、必ず場や時間や環境と結びつくのが音楽やダンスであり、決して自立/孤立した存在ではなかったということだ。もっとも現在では電気、テクノロジー、メディアの影響で、こういった伝統文化はどんどん変化してきているけれど… といった内容。

『民族・舞踊・音楽 - 融合と土着化』 塚田健一(民族音楽学 
アフリカ中央の小さな町で開かれる即席ディスコ。ローカルなポップスが流れるが、集まって来る若者たちの踊りは意外にも部族の伝統的なダンスに酷似していた… という体験談から、異文化との接触におけるダンスの変容について、シンクレティズム(融合)とインディジェニゼーション(土着化)という2つのキーワードを示して論じられる。前者の例としてバリ島の芸能、また後者の例としてポリネシアのトンガ島の音楽などが紹介される。いずれにせよ最終的には、集団の当事者による「意思決定」が変容の結末を左右するのではないか… といった内容。

ところで塚田氏の論文に余談として語られている「70年代の東京の夏の盆踊りの話」には笑った。これは、若者離れを危惧した関係者が、イメージを変えて若者を惹きつけようとアメリカのフォークダンスを盆踊りに取り入れた、という実話。炭坑節の次にオクラホマミキサーが流れるとかそういった趣向で、若者たちはやぐらの下で丸くなってフォークダンスを踊ったという…。この珍妙な習慣がすぐに消えたのは言うまでもない。


中心のやぐらで太鼓が叩かれ、それを見上げるように円になった人々が踊る、という構造はほとんどDJブースみたいなものなんだから、いっそそのものずばりDJブースにしてテクノ流せばナウいヤングが集まるんじゃないか。という気もするが、ベルリンのラヴパレードみたいにテクノ一色で意気投合する国民風土とは違う日本では「ヒップホップかけてくれYO!」「いやDJ OZMAで踊らせろ」「何言ってんだ長渕だぜ」「Perfumeはダメ?」「音響」…などと意見が割れまくり、若者離れに拍車をかけること必至なので廃案(0.05秒)