アフリカ音楽の想像力


音楽がなかったらダンスができない
ダンスがなければ音楽もできない
両者は離れられない関係なのだ


- ニッカ・ロンゴ(ザイコ・ランガ・ランガ楽団)






アフリカ音楽の想像力

白石顕二, 勁草書房, 1993


例の80年代末から90年代初頭は「ワールド・ミュージック」なる言葉が流行した時代でもあった。それまで一部の愛好家のものだった土着の「民族音楽」とひと味違って、欧米(や日本)のリスナーにも聴きやすく「洗練」されたアジアやアフリカがらみの音楽、言わば「ディフュージョンエスニック」が、トレンドの最先端として消費された。


本書はまさにこのような「ワールド・ミュージック」出現の前後にアフリカを旅した著者による、言わば最前線レポートである。


あまりに表層的であった「ワールド・ミュージック」ブームの功罪はともかく、現実問題そういったマーケットの力学を利用してのしあがらざるをえない現地ミュージシャンの実情や、とにかく切実に音楽を必要とする都市の若者たちの姿など、著者の視線はあくまで「現場」から離れない。アジスアベバの音楽酒場で流しの歌手を聴き、ナイロビの掘っ立て小屋クラブで地元楽団を聴き、キンシャサのコンサートホールで衰退した名門バンドを聴き、ザンジバルでターアラブを聴き、タンザニアでアフロレゲエを聴く。聴く。聴く!


ワールド・ミュージックどころか「アフリカ音楽」と総称する事すらナンセンスなほど多種多様で極彩色の音楽体験の数々。いつしか読んでいるこちらも、まるでロードムービーのような筆者の旅に同行して、路上で地元の若者たちに話しかけられたり、クラブの楽屋でミュージシャンに会ったりしている気分になってくるから愉快だ。



序章 アフリカ世界のなかへ
時間と空間/交流と類似性/無限な多様性/根源にあるもの/アフリカの影/再生の音楽
第1章 エレクトリック・アフリカ
都市の音楽/若者たちの街/ミュージシャン/音楽テープ
第2章 都市とポップス
場末の音楽/都市の構造/市場の争奪/音楽の言語
第3章 過激なダンス音楽
音楽帝国主義キンシャサ音楽史/過激なダンス/新世代とサップ
第4章 演歌の黙示録
ターアラブ/ザンジバル/演奏会の夜/演歌スター
第5章 伝統とモダーン
グリオと現代/音楽の神々たち/サリフの世界
第6章 レゲエと抵抗
カーニバル/黒人音楽の回帰/アフロレゲエ/チムレンガ
第7章 アフリカに恵みを
奇蹟の歌声/ミュージカル/亡命者の音楽/新しい創造へ
終章 ワールド・ミュージック
「世界音楽」/WOMAD/「混合文化」/中心部と周辺部/アフリカ音楽と日本


ダンス音楽についても「現場主義」から見えてくるいくつかの発見が興味深い。


とりわけ「ダンスパートが絶頂にさしかかり、ボーカル・セクションとパーカッション隊が、持ち前の喉で熱く盛り上げていくなかを、突如としてバック・ミュージシャンの演奏がフェードアウトしていく [略] 今まで軽快なステップを分でいた観客も散り散りになってテーブルの方へと戻っていく。時間的な区切りがはっきりしない。また曲が始まるとフロアは思い思いのファッションで着飾った人で埋まる。この繰り返しが明け方まで続く」(p.97 ※酒井透氏の文章からの引用) といった様子で延々と続くザイール音楽の特徴を、一年中切れ目なく収穫を続ける熱帯雨林の自然と社会のリズムに結びつける第2章が面白い。


なにしろ「熱狂的なダンスが伴わなければ、ザイール音楽も空気の抜けた風船と同じ」(p.107) なのだ。きわめつけ、現地の音楽家の「ぼくらはダンスで育ち、ダンスで生き、ダンスで死ぬ」(p.107) という言葉は、『シンコペーション』に登場したニューヨークのドミニカ人と同じように、アイデンティティとしてダンスを掲げるザイール民族の心意気。


また第6章では、アフリカにもまるでブラジルのような「カーニバル」がある、という話が紹介されている。旧ポルトガル領だった西アフリカのギニアビサウ南アフリカアンゴラなどでは毎年盛大なカーニバルが開かれているらしい。たとえばビサウでは、リオのサンビスタのように艶やかで豪奢な衣装こそないが、行進にはまぎれもなくサンバ的なリズムが流れる。アンゴラの言葉で「サンバ」と言えば「他の人とのヘソとヘソのぶつかり」を意味するらしい。またサンバを踊る行為を指す「バトゥケ」という言葉もある。バトゥカーダ(サンバにおいて、高速でポリリズムを刻む打楽器合奏スタイル)の語源か?


とは言え「音楽」を探し求めて彷徨する筆者が最後に出会うのは、どこでも結局、西洋との歪んだ歴史が生んだアフリカの貧困や、それこそ悪い意味で「ワールド・ミュージック」的な文化帝国主義、西洋(や日本)との経済格差だったりする。


なにしろアフリカの多くの国では平均寿命が50歳以下なのだ。都市人口の実に7割は15歳から25歳の若者たちだ。職を求めて地方から出てきた者、所在なく街路をぶらつき、一時しのぎの仕事についたり、一攫千金を夢見てうさんくさいビジネスに手を染める者…「カネもなければ仕事もない彼らには、夢が必要だ。それを与えられるのは、アーチストとスポーツマンだけなんだよ」(p.44 マヌ・ディバンゴの言葉)という状況は、おそらく本書の出版から15年近くたつ現在でも大きく変わってはいないだろう。