狂った京橋


映画『狂った一頁』のリサーチも地道に続けております。


京橋の国立近代美術館フィルムセンター(NFC)に行ってみた。タイミングの良いことに、ここで今『生誕110周年記念 衣笠貞之助の世界』なる企画展示が行われていると知り、朝っぱらから(例によって息子連れで)訪ねる。衣笠監督とこの『狂った一頁』に関しては文献情報が極端に少ないので、少しでも手がかりがつかめればと。


この施設は初めて来たけど(映像の講義なんかやってるくせに不勉強ですみません)常設展の方には古い映写機材の実機が多数並んでいて、そっち系のマニアにはたまらんかも。ちなみに息子は、今日は虫プロのアニメ『クレオパトラ』のコーナーにハマってました。さすが手塚先生!


展示品には『狂った一頁』撮影台本やメモの現物、また原作を担当した川端康成の書簡などの貴重な品物も。『狂った一頁』に続いて作られ、衣笠の出世作となった『十字路』の映像やスチール、ポスターなどもあり。オマケとしては衣笠がロシア旅行から持ち帰ったとされる『戦艦ポチョムキン』の特大ポスターや渡航当時の革トランク(レトロなステッカー貼りまくりでイイ味を出してた)まで展示されてて、1920年アバンギャルドな時代の空気を感じることができる。


しかしこの衣笠という人物、相当に野心的かつ行動的な人であったことは確かだ。もともとは旅回り芝居の女形役者。それが活動写真の流行に乗じて映画監督に転身し、先端の文学者らと組んで前衛映画を撮りながらも、最終的には松竹、東宝大映といったメジャー会社ですこぶる古典的な時代劇やメロドラマを撮る職人監督となった。


そして50年にもおよぶ映画人生。晩年、昔の自作について話題がおよぶと「あ、あれは先代の衣笠でして」と真顔で冗談を飛ばした(田中眞澄『二つの貌を持つ男ー衣笠貞之助抄』NFCニューズレター第70号より)なんてエピソードが、キャリアの長さ芸風の広さを雄弁に物語っている。