進駐軍が夢みた「都会」


東谷護『進駐軍クラブから歌謡曲へ』(みすず書房)


1945年から52年にかけて、関東をはじめ日本各地に米軍公営の「クラブ」が設置された。そこはオフリミット(米軍関係者以外立ち入り禁止)の娯楽施設、つまり「日本の中のアメリカ」だった。そこでは日本人ビッグバンドによるポピュラー音楽の演奏が、継続的に行われた。その実態を豊富な資料や当事者の証言によって解明してみせるのが本書だ。


博士論文の書籍化ゆえか文体こそやや「固め」なものの、文献研究にありがちな大所高所から歴史を俯瞰するクールな報告ではなく、当時の「現場」の空気を再現しようというホットな感情に満ちている。こうした「現場主義」は、たとえば『演奏者にとってのクラブ』『仲介業者にとってのクラブ』『従業員にとってのクラブ』…といった、そこにいた「人間」に的をしぼった章立てからも明らかだ。


演奏したい者は楽器ケースを持って新宿駅前に立つ。やがて「拾い」のトラックがやって来て彼らを積み込み、立川、横田、朝霞、座間など関東各地の米軍キャンプに運んでいく。といった、ほとんど日払い肉体労働者のようなバンドマンの実態や給与体系、勤務の実態(華やかに見えて酒も食事も支給されず、クラブの外から蕎麦をとって食べていた…といった妙にリアルな話など)から「ツアー」の様子まで、生き生きと活写されている。当時のクラブの写真や、再現された場内の見取り図もリアリティを感じさせる。


洋楽の情報源がラジオ程度しかなかった時代、バンドメンバーは放送を耳コピーして書き取ったラフなメロ譜をヘッドアレンジして演奏していた。とか、そんな時代だからこそ「楽譜」を持っているという事がものすごく貴重で、譜面を持っている事がバンマスの条件だった。とか、アメリカでプリントされたパート譜つきの「良い譜面」を持っていると「一流バンド」と呼ばれた。とか、今もジャズ界に残る「1001」(通称"センイチ"。1枚の紙にメロディとコードだけ記された簡単な譜面で、いわゆるスタンダード・ナンバーを網羅した曲集)ってのがこの時代、コピーだの手書きの採譜だの海賊版だの無秩序な状態の中から生まれていった。とか、音楽産業が確立する前の混沌時代ならではの、楽曲/楽譜/演奏をめぐるエピソードの数々が興味深い。


しかし、そもそも戦時中は洋楽など御禁制だったはず。終戦直後、誰も知らなかった「ジャズ」をどうやって日本人が演奏できたのか?


実は、最初は軍楽隊出身者がバンドの中心となったという。あるていど読譜力があり、新しい音楽を即座に吸収し実現する能力があるプロ集団、それが軍楽隊だったというわけだ。しかし、ま、軍隊に属しながらも「楽隊」ってのは所詮ミュージシャンだ。戦時中は軍楽隊という名目で後ろ指さされず音楽を演ってられる場を選んだだけだし、戦争が終わればかつての宿敵が酒を飲む後ろでBGMを鳴らす仕事だってやるさ。ってなふうに、イデオロギーや主義主張より何よりも「音楽が演奏できる」ことこそが大事な人種なのだなあ。いや自分だってそうだよな。と妙なところに共感。


それにしてもこの時代、スウィング感だのブルース・フィールだの皆無(だったはず)の軍楽隊出身者から素人同然の自称ミュージシャンまで、簡単にバンドマンになれたってのはどういうことだろう。(もちろん彼らなりに『猛勉強』したというし、優れた音楽家もたくさんいたが、総体的に言って)その程度の水準で、本場アメリカ人の聴衆を相手に、なぜ「慰問」は成立したのか?


そんな疑問に、本書はこう答えている。


聴衆であった米軍兵士たちは、その多くがアメリカといっても地方出身者であり、<彼らにとって、バンドの生演奏を聴きながら食事をしたり酒を飲んだりするのは、いわば憧れの都会のライフスタイルであり、それが形だけでも実現されるというだけで満足であった>のだと。


戦後復興期の日本にとって、たとえばハリウッド映画のようなメディアが断片的に伝える「都会のライフスタイル」は、まさしく憧れだった。そうした「夢」こそは高度経済成長をおしすすめる活力ともなっていった。だが占領軍兵士の多くにとっても、それは同じように「憧れ」にすぎなかったのだという。この話にはうならされた。つまり「進駐軍クラブ」の実態とは、一度は焦土となったトーキョーという廃墟の街に、和製ジャズバンドというイミテーションの伴奏で立ち現れた、虚構の中だけの「都会のナイトクラブ」だったのだ。


とすると、ここからは当方の妄想だが、そもそもトーキョーという街の「発展」じたい、彼ら米軍兵士たちが妄想した「虚構の中だけの都会」を、われわれ日本人が演じてきた結果ではなかったか。追いつけ追い越せと「都会」をめざせど、そもそもその「都会」が虚構なのだから、どこにもゴールなどない。したがって「発展」の終わりは永遠に来ない。それが、この街がこれほどエンドレスに肥大化した原因ではないのか。蕎麦をすすりながら必死でゴージャスなアメリカン・スタンダードナンバーを練習する「進駐軍クラブのバンドマン」とは、そうした街に生きるわれわれ自身の姿ではなかったか。少なくとも90年代初頭のいわゆる「バブル崩壊」までは…