政治的に正しくは

WONO2006-12-24



政治的に正しくは"Happy Holiday"と言わなければならない(もちろんキリスト教以外の信者にとってはキリストの生誕を祝う理由がないから)という潮流が一段落して、今や再び、あまり深く考えずにこの季節は "Merry Christmas"って言っても良いんじゃない?っていう習慣が戻ってきつつあるらしいですね、アメリカなどでは。当方は断然それに一票投じます。無宗教、いや宗教嫌いを自認しているにもかかわらず。


毎年、信者でもない一般日本人がクリスマスっつって大騒ぎするのはおかしい!って意見が、この時期になると出るよね。しかし日本人なんてのは古来から外国の宗教だの風物だの文物だのをそそっかしく輸入しては型だけ換骨奪胎して都合良くチョチョイとつまみ食いしてきた、お調子者の民族なのだ。盆暮れ正月夏至冬至、月見に節句に七五三、ヴァレンタインにハロウィン、いずれもそれを肴に酒でも飲んで日常にちょいと彩り加える風物詩にすぎないのである。と大胆に割り切ってしまえば、それで誰が損するわけでもなし。何であれ「定義」するために人生があるわけじゃない。宗教も祭りもイデオロギーも、人生のスパイスにすぎないのさ!


ま、しかし、そういうセリフを吐けるのは、戦争や死や過酷な運命のような、宗教によってしか救われえない「業」を、今のところ感じずにぬくぬくと生きていける日本という平和ボケ国家ならではの話なのかもしれません。キリスト教徒とその他の宗徒が戦争しているような地域で能天気に「メリークリスマス」なんつったら即、標的にされても文句言えないのかもしれない。それは認める。認めつつも、幸いにもそんな状況ではないこの平和ボケ日本でのんきにクリスマスケーキなど食べてられる我が身の幸運に、あえて能天気に感謝を捧げる日が1年に1日ぐらいあったっていいじゃんかと思うわけです。ま、しかし、そういうのを「楽しい」と感じること自体『クリスマスキャロル』『素晴らしき哉、人生!』『アパートの鍵貸します』『恋におちて』『ダイ・ハード』…等々、ハリウッドに連綿と脈づくまことに体制的な”クリスマス映画”たちに子どもの頃から洗脳され続けてきたせいかもしれないけど…


そもそもクリスマスツリーなんてものは、キリスト教とは関係ないゲルマン民族の悪霊よけ信仰から来ているというし。サンタクロースのあの赤い衣装に至っては伝統的なものなんかじゃサラサラなくて、コカコーラ社が製品の宣伝のために1931年に打ち出したキャンペーンで初めて定着したのだというし。「クリスマス」ってのは初手から、何かハッピーになれる行事で1年をシメたいっていう集合無意識のアイコンにすぎないのだ。


戦争や死や過酷な運命ほど切羽詰まった問題はさしあたってないものの、誰だってそれぞれ小さなあやまちや悩みや後悔を抱えて生きている。そんな僕らが、どこかの聖者の生誕なんていう2千年も前の出来事をダシに、一瞬立ち止まって後ろを振り返ったり、それなりの小さな幸福をかみしめたり、自分の力ではどうしようもない現実にほろりと涙をおとしたり、好きな人がにっこり顔をほころばせてくれそうなプレゼントを選んだりする日。要するに人生における余分な一日。


メリークリスマス!
人生はいいものだ
草刈正雄@『復活の日』)