ネバーエンディングストーリー

WONO2006-10-02



あいかわらずアンパンマンのことを考えている。


前に書いた状態からさらにアンパンマングッズが増殖している我が家。アンパンマンパジャマ、アンパンマン腹巻き、アンパンマンスウェットシャツ、アンパンマン靴下、アンパンマン人形、三輪車に乗ったアンパンマンアンパンマン新幹線アンパンマンパトカーアンパンマンカメラのおもちゃ。息子は眠ってる時も回らない口で「アンパン…マ…ン……」とうなされてたりする。いったいどんな夢をみてるんだか。あげくのはてに、先日は羽田空港で「アンパンマンパン」なるパンも発見したのでさっそく購入して試食してみたが、これは中身が餡ではなくチョコレートだったのが心外だった。アンパンマンチョコパン。って結局なにパンだよ。


ところで、アンパンマンの仇役といえば「バイキンマン」だ。


DVDでバイキンマンが初登場する話を観たのだが、彼の出自がなんとも判然としない。天変地異で突然誕生するのだが、どうも最初から「アンパンマンを倒すこと」自体を目的に生まれてきたようだ。別の言い方をすれば「悪事をしでかしてアンパンマンに成敗されること」が、彼の唯一の存在理由らしい。そしてあらゆる悪党と同じく「おぼえてろよ!」などと捨て台詞を残して逃げて行くのが毎回のお約束だ。


ふと、バリ島のバロンダンスを思い出した。獅子の姿の聖獣バロンと、悪の象徴である魔女ランダの戦いだ。倒されても必ず復活して永劫の戦いを続ける両者の宿命は、いわゆる勧善懲悪の二元論で終わらない永遠の輪廻を描き出す。アンパンマンバイキンマンの終わりなき戦いとは、実はこのようなヒンドゥー教の世界観を戯画化したものではないのか?


そうだ! この物語、宗教ドラマと考えれば全てのつじつまは合う。以前、当方が「カニバリズムか?」と疑義を呈した、貧しき者に自らの顔面を喰わせるアンパンマンの奇特な行動は、キリスト教が伝えるアガペー(神の無限の愛)の表現ではないのか。そしてそれは同時に、煩悩を捨て解脱して涅槃の境地に至る仏教の理想を体現するものでもあるだろう。


また、かねてより疑問であったのが、「誕生祝い」だの「治療」だのと称して随時行われる「頭のすげ替え」だ。頭部/顔という最も重要な部位をすげかえられてもびくともしないアンパンマンアイデンティティ。そこにみられるのは、保護者「ジャムおじさん」への圧倒的な信頼、いやほとんど「従属」と言って良い、濃密な関係だ。これはひょっとしたら、万物の運命は唯一絶対神に委ねられているという、カダルの教え(イスラム六信のひとつ)を象徴しているのではないか? 偶像崇拝が禁じられているイスラムの教義をアニメ化して良いのかという疑問はさておき。


一見能天気な子どもの作り話に見えて、このように世界中の宗教の本質を重ね合わせた巧みな設定。そこにこそ、なぜアンパンマンがこれほど長き時間(とき)を超えて広く愛され続けるのか、その秘密が隠されているといったら考え過ぎだろうか。


(もちろん考えすぎだ)