EVALA「INITIAL」

INITIAL (port / PTCD002)


これまたリリースは先月ですがヘビーローテーション中。旧鎗ヶ崎ジャーナルにもたびたび登場してたヴァラさんことEVALA氏の記念すべきファーストアルバム。


建築照明家の友人と話していて「“照明”の極意ってのはあかりを消すことなんだよね」と言われたことがある。とにかくあかりをつけて部屋を明るくするのは素人の発想。電気代もかかるし美しくも面白くもない。まず全てのあかりを消す。その漆黒の暗闇で、本当に必要な箇所をピンポイントで照らしていくこと。想像力を刺激する美しい照明とは、「闇」をどうコントロールするかにかかっているのだ… という話。


このアルバムを聴いて、そんなことを思い出した。沈黙の中に周到に配置された最小限の音、しかしもちろんそれは高周波から超低音までの帯域から選び抜かれた「これでなければならない」高密度な音。そして、それらがつくる音の影やモアレの中に突然ポーンと美麗な和音が響いた瞬間の生理的快感は、無機物を撮ったモノクロームの顕微鏡写真が一転、青空と海のカラー映像となって動き始めるような開放感、躍動感。そんな楽曲が冒頭に仕込まれてあるものだから、それが伏線となって、その後のアブストラクトな楽曲を聴いていても、ノイズとノイズの重なり合いが一種の「和音」として聴こえ、複雑なハーモニーに感じられる。というアルバム構成が巧い。


これが、しかし本人によれば、実は音源のほとんどが蝉の鳴き声だの環境音だのといった自然の音を編集したもので、電子的に発生させた音ではないという。なるほど、シャープな編集の切れ味にも関わらず全体としてはとても暖かく「角の丸い」音像に聴こえるのも、たった1音鳴っているだけでも妙に飽きさせず味わい深い感触なのも、1音の中に複雑な情報が織り込まれた自然音を素材としているからか、と納得。ビジュアルにたとえるなら、電子的に描いた画像と、木肌や岩石などの自然物をスキャニングした画像では、一見同じような情報「量」に見えても、その情報「密度」は全く違う。そんな質感の差を、この作品と凡百の「エレクトロ二カ」との間に感じた。


付け加えると、このジャンルのほとんどの楽曲やサウンド・アート的サウンド(←へんな日本語)に特有の「最初の数秒聴けばあとは予想がつく」展開の退屈さやヒネリの無さ、に飽き飽きしている人にこそ、ぜひ一聴をお勧めしたい。静的な美術作品としてではなく、動的な時間軸の構成として音楽作品をつくるとはどういうことか、よくわかる作品です。