酒について

『酒について』
エイミス 著/吉行淳之介+林節雄 訳

ある人が根っからの酒飲みであるという紛れもないしるしは、目に触れた酒に関する文章は何でもかでも読んでみることだ


本書のこんな言葉に、うなずかない酒飲みはいないだろう。いや、酒に関する文章だけでなく、「酒の飲み方に関する文章」「酒飲みそのものに関する文章」さらには「“酒に関する文章”についての文章」まで読み漁らずにはいられない一種の活字飢餓状態をもって根っからの酒飲みかそうでないかを見分けることが可能であると、心底から酒を愛する方なら完全に同意して下さるはずだ。


本書『酒について』は、古今東西「“酒に関する本”に関する本」の中で引用されることのおそらく最も多い書物の一つ。文学からの引用、箴言、金言、公理の数々をもっともらしく並べ立てた内容は、まさに酒文献の古典と呼ぶにふさわしい威厳と風格(言いかえれば、なんとも馬鹿馬鹿しい話を必要以上に重々しく語る英国流ユーモア)に満ちている。


酒についての解説やうんちくを並べ立てる本では、しかし断じてないところが本書の面白さだ。訳書のタイトルも、原題"ON DRINK"のニュアンスを生かして『酒飲みについて』あるいはシンプルに『呑む』とでもするべきだったかもしれない。ところどころにカクテルのレシピも載ってはいるが,本書が描き出すのは酒そのものではなく、酒のことになると好奇心旺盛で貪欲で妙に律儀で内心やたら吝嗇な、酒飲み特有の性質と生態に他ならないのだから。たとえばこんな具合だ。


『けちんぼ野郎のためのガイド』
友人を自宅に招いた時、なるべく大事な自分ちの酒を消費せずに、見かけは彼らを手厚くもてなしたと思わせる方法の数々を紹介。たとえば

歯をくいしばって全部の客に最初の1杯はともかくもちゃんとした酒を出すこと。しかしグラスを満たす時に大量の氷を加えることで、ふところの痛いのが軽くなる。(註略)食前のいわゆる“パンチ”の中にマトモな人間ならいささかうんざりするほどの分量の果物を入れて出すこと


『飲み過ぎないための方法』

誰もが知りたいと願う、翌日二日酔いしないための方法。あらゆる選択肢が検討されるものの、最後は
いよいよ床につく前に大量の水とアスピリン、それから/あるいは、胃の粉薬を飲んでおくこと(中略)このアドヴァイスそのものは完全無欠なものであるが、翌朝になってそれを実行しなかったことに気づくのがおきまりだ(中略)これを裏から言えば、こういう処置をするのに必要な意志とエネルギーと反省能力とを呼びおこすことができるようならば、その人はまだまだ飲み足りないのだ

と、世の酒飲み誰もが同意する結論に至る。


そして本書の白眉は、これまた説得力抜群の「GP」(General Principle=公理)の数々であろう。たとえば
GP3

果物の1片を添える習わしになっている酒には、それと同じ果物のジュースも少量同時に加えてみると、それだけのことはある


GP4

冷やして飲む酒は、できるだけ冷やして出すことの方が、できるだけ濃くして出すことよりも大切である


GP5

フルーツジュース……などをミックスする酒は、信用の置ける範囲のもので最も安い品物を求めること。手持ちのロシア製、ポーランド製などの本場のウォトカなどを無駄使いしてはいけない


…とまあ、やけに実用的でけちくさい「公理」ばかり並んでいるところが、おかしい。結局、酒に関する文章にありがちな「酒とはこうあるべきだ」だの「酒はこう飲まなければならない」といった強面な語り口を装いつつも、「酒なんてこんなもの」と酒飲みの世界を笑いのめしているところが、本書最大の魅力だ。酒に限らず、料理・クルマ・時計にカメラ、音楽に文学に映画……「趣味」の話となると人は(と言うよりも男ってヤツは)なぜかストイックな事大主義に陥りがちなものだが、そんな自分を客観的に笑ってみせる余裕。センス・オブ・ユーモアとはこういうことだろう。

ワインというものは時がたつにつれておいしくなり値打ちを増すことは本当だ(中略)しかし“お金は今すぐにお飲みになるのは1984年ですよ”と言われては(註・本書の初版は1972年)おそろしく気の滅入るスローガンとしてのしかかってくるのだ(中略)手持ちの1-3ポンドのものを気前よくあけて、楽しくやること。人生はあまりにも短い


そのとおり。人生は短い。人生は酒のためにあるわけではない。だが酒があれば人生はなお楽しい。そう思える貴方なら、この本に大きな魅力を感じること間違いなし。