LESS IS MORE


学生が先日の「ディスコイベント」の記録写真を持ってきたのでスライドショーでぱっと見せてもらった。先日は授業でもビデオによる記録映像を観たのだが、そちらよりもこの一連の写真の方に、何か現場の空気感や雰囲気を再現するような力を感じた。ピンボケだったり暗すぎたりする写真の数々。しかしそれらを連続して見ていると、次第に写真に写らない音や匂いまで含めて、当日の空気が蘇ってくるような気がする。


こんなとき我々の脳は、1枚1枚の写真という情報ではなく、その「行間」というか記憶を蘇らせ、脳内でつなぎ合わせながら、追体験しているのではないか。映像のように「行間」のない記録を観る時は、脳はこうしたプロセスを働かせる余地がない。情報量の少ない写真の方が、脳は脳内に「映像」を自ら生み出すべく活性化するという仮説はどうだろう。たとえば情報量の少ない「俳句」がそれゆえに鮮やかな情景や感動を喚起するのと同じ理屈で、制限された情報の方が脳を楽しませることができるのではないか?


そう考えると、建築家ミース・ファン・デル・ローエの有名な言葉「Less is more, more is less(少ない方が豊かだ)」なども、単なるレトリックではなく、科学的真実にしてまことに実感のこもった台詞と思えるのだ。

イスラエル分離壁の両側で、共存を訴えて写真を映写


 エルサレムの東郊にあるパレスチナ人の村アブディスで11日夜、イスラエル自爆テロ犯の侵入阻止を理由として造っている分離壁を画面にして、イスラエルパレスチナの日常風景の写真を映写する催しが行われた。分離壁パレスチナ人にとって、土地を奪ったり移動の自由を妨げたりする障壁だ。いかに必要ないかを訴える試みでもあった。


 イスラエルパレスチナの市民団体やドイツ政府などが資金協力した。ここで最初の催しをし、民族や宗教の紛争を抱えるキプロス北アイルランドを経て、壁を壊したベルリンで来年、最後の映写を行う予定。


 11日夜はアブディス村の壁の両側で、同じ写真を同時に映写。イスラエル側には約100人の観客が集まった。


 写真を出品したイスラエル人のニニ・モシェさん(32)は「子どもたちの遊ぶ姿の写真が、イスラエルパレスチナで別々に撮影され、並べて映写される。するとどっちがイスラエルなのかわからなくなり、同じ子どもじゃないか、なぜ壁が必要なんだ、と疑問がわいてくるんだ」と語った。


 分離壁は02年に建設が始まり、総延長約700キロのうち半分が完成している。ヨルダン川西岸のパレスチナ領に食い込んで建設される例が多く、問題になっている。


朝日新聞 2007年07月13日朝刊
http://www.asahi.com/international/update/0712/TKY200707120415.html?ref=goo


このニュースを読んだ時も、ビデオではなく「写真」ってところが、いいと思った。


映像は観る者に「体験」をさせるメディアだ。思考する暇もなく、否応なしに体験というジェットコースターに乗せる事ができる、そこが映像の面白さ。それに対して写真は、切り取られた「瞬間」にすぎないがゆえに、逆にその前後に広がる無限の時間について「思考」させ「想像」させる。そういう力がある。


パッと体験してわかったつもりになるだけでなく、「行間」を読んで自ら色々と考えることの方が必要なテーマについては、1枚の写真の方が長い映像よりも力を持つ場合もある。だから、このイスラエルのケースでメディアが「写真のプロジェクション」だったのは大正解なのではないか。


まさしく「Less is more」なのである。