栄華のバロック・ダンス



1699年に催された仮面舞踏会について、シャルロット妃が残した記述には、さまざまな変装の様子が描かれている。 [中略] 王太子や何人かの男性は女装をし、ショールを巻き、髪型は黄色の髪でできたタワーのように高く作られた。またつけぼくろやパッチのついた黒や赤の小さな仮面をかぶって、高く蹴り上げるようなステップを踏んだり、わざとぶつかりあって突き飛ばされた伯爵が英国女王の足下に倒れこんだりすることもおこり、笑いの一幕を繰り広げた。





栄華のバロック・ダンス
―舞踏譜に舞曲のルーツを求めて
浜中康子, 音楽之友社, 2001




18世紀。カリブ海の農園で奴隷たちがダンスに情熱を傾け、過酷な現実からかりそめの逃避を果たしていたのと同じ頃、ヨーロッパの宮廷では、感情を極力排して調和と秩序を表現する、きわめて様式的な「イデオロギーとしてのダンス」が貴族たちによって踊られていた。いわゆる「バロック・ダンス」である。


バロック・ダンスは別名「ベル・ダンス(高貴なダンス)」とも呼ばれた。大別すると、宮廷の舞踏会で貴族たちが踊るダンスと、宮廷や劇場のステージで専門のダンサーが踊るショーを眺めるものの2種類がある。前者は現在の社交ダンス、後者はバレエの源流となった。


もっともバレエに関して言えば、1533年にフランス王室に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスがイタリアから伝えたダンスが起源という説もあり、バロック・ダンスの歴史と平行して発展してきたジャンルだとも言える。また、たとえば17世紀の国王ルイ14世は自ら踊り手としてバレエに熱中し王立舞踏アカデミーを創立するほどのマニアだった。したがって実際には、バレエと宮廷ダンスの間には強い相互関係や影響があったと考えて良いだろう。


ともあれ宮廷ダンスとは、何よりもまず「儀礼」であった。


王侯貴族の結婚や誕生、戦争の勝利、海外VIPの訪問など、およそあらゆるイベントのたびに「グラン・バル(舞踏会)」が開かれた。たとえばある結婚祝いには7〜800人が出席し、ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」を会場に、専属楽団である「国王の24人のヴァイオリン」と12人のオーボエ奏者の伴奏で盛大な舞踏会が催されたという(つまり低音ゼロ! ダンスミュージック史における低音域使用頻度の変遷というテーマも研究に値するかもな)


本書は、こうした背景の説明に続き、現存する「舞踏譜」とその説明によって、様々なバロック・ダンスをジャンルごとに紹介してくれる。「舞踏譜」とは、ステップやダンスの詳細を平面上の時間軸移動図として詳細に示したものだ。ルイ14世のダンス教師でもあったボーシャン、そして1700年に舞踏記譜法の特許を取得したフイエらのシステムに基づき、数百種類現存している。


「音」そのものを保存する録音メディアのなかった時代、音楽は何よりも「譜面」として記録販売されていった。同じように、ダンスする身体という「映像」を保存するメディアのなかったこの時代には、様々なダンスの所作が「舞踏譜」として残されたわけだ。


本書は単に学究的な研究書というだけでなく、バロック音楽古楽の演奏に携わる者にとっては、メヌエットだのガヴォットだのサラバンドといった「おなじみの舞曲スタイル」について、あらためてアクセントやディナーミクやニュアンスや、何よりもジャンル独特の「グルーヴ」を、ステップやダンスの挙動と共に伝えてくれるまたとない参考資料となるだろう。実際、本書を一読した当方にはバロック舞曲の数々が、化石のような古い音楽ではなく、当時の超トレンディなダンス・ミュージックとして、あらためて立ち上がってくるように思えた。

第1章 宮廷舞踏 -バロック・ダンス
1 バロック・ダンスとは
2 舞踏会用ダンス
3 劇場用ダンス
4 舞踏譜が伝えるもの


第2章 バロック・ダンスのテクニック
1 足のポジション
2 パ=ステップ
3 個々の動きを示す記号
4 記号の位置と実際の動きとの関係
5 さまざまなステップ記号
6 男女のシンボル
7 舞踏譜と楽譜との関係
8 腕のポジション


第3章 さまざまなダンス
1 メヌエット
2 パスピエ
3 ブレ
4 リゴドン
5 ガヴォット
6 アルマンド
7 クラント
8 サラバンド
9 フォリア、シャコンヌパッサカリア
10 ジグ
11 カナリ、ルール、フォルラーナ


付録
1 フランス王家家系図
2 イギリス王家家系図
3 舞踏譜 - ブレとメヌエット