シンコペーション

WONO2007-02-12




俺たちのほとんどの人間にとって2拍目と4拍目のアクセントは、アフリカ系の人々の音楽的アクセントではなくて金と権力のアクセントなんだ。俺たちとは無縁のね。
- Kip Hanrahan






シンコペーション
ラティーノ/カリビアンの文化実践
杉浦勉鈴木慎一郎東琢磨(編著)エディマン, 2003


『ニグロ、ダンス、抵抗』に詳述されたカリブ海地域の音楽文化が、ではその後どのように展開したのか?と考えていたところ、「シンコペーション」という音楽用語を標題に据えた本書が目に入り、すかさず購入。サルサからボサノバまで、徹底して弱拍にアクセントを置くシンコペーション作法は中南米音楽の王道だ。そのリズム分析を軸にカリブ音楽の特徴を読み解く音楽理論書!


……という当方の予測は大はずれだった。本書の基本的な立ち位置は、社会学的、ないしカルチュラル・スタディーズ的と言って良い。「シンコペーション」というタイトルも、どうやら直接音楽の内容を指し示すわけではなく、社会の中での「単線的で進歩主義的な時間の流れの中に、過去の暴虐や未来のユートピアへと、あるいは語りきれないような異質なものへと通じていく裂け目を、ところどころに、不意にあけていく」(p.6) 様々な実践を象徴するための、一つのキーワードとして使われているようだ。


ここで紹介されている、強拍(=権力)から逃走し続けるしなやかな思考や実践の数々は、「シンコペーション」というよりも「オフ・ビート」あるいは「ノー・ビート」とでも呼ぶ方が正確なのではないかという気もしないではないが、さしあたって都市やコミュニティ、サブカルチャー、ポップ音楽について広く考えるヒントを、本書が与えてくれるのは確かだ。

メトロポリスの圏内
  ドミニカンヨーク・オン・ムーヴ
  ニューヨーク/クラブ・カルチャー
  トロント/カリビアン カリバーナ・フェスティヴァル
  ロサンゼルス/チカーノ的フィロソフィとはなにか
  タギングの奇跡 都市をレイヤリングするグラフィティ 
  わたしたちのなかにある小さきひそやかな声 ラティーナ・アイデンティティの提携ポリティクス


語り得ぬ<フィールド>から
  スリナムの黒人音楽 意味の(不)透明性/遠近法的な文化のイメージ
  カリブ海地域の女性たちの「語り」
  神々の<物質化> あるいはキューバマルクス
  スタイルと他者性


トランスナショナルな同時間性
  リプレゼンテーション・バトル
  「諍いの風景」インナーシティで生まれた文学群から
  小さな灰色のタイプライター 喪失と希望のあいだで
  クラーヴェと録音機を持った男
  連結する路上 音楽/スタイルの脱場所とコミュニティの詩学


中でも、ダンス音楽とコミュニティ文化にまつわるトピックとして興味深かったのが『ドミニカンヨーク・オン・ムーヴ』(三吉美加)。


日本ではなかなか紹介される機会の少ない、NYに住むドミニカ系の若者たちについての報告だ。筆者によればドミニカ人は、カリブ海の中でも「踊らなければドミニカ系じゃない」と言われるほどダンス好きな民族として知られるらしい。彼らはラテン系でありながら「黒人」と呼ばれるというアイデンティティの混乱のただ中に生きている。もっとも、こうした「混乱」がもたらすのはネガティヴな問題だけではない。メレンゲサルサなどのラテン音楽と、ヒップホップやラップなどのブラックミュージックの両方を、柔軟に吸収し起用に踊ってみせる新しい世代が出現してきているのだから…といった内容。


この論文を始め、本書が取り上げる事例の多くは、国籍や国境といったボーダーの侵犯そしてリミックスの果てに何が出現するのかというタフでリアルなテーマを扱っている。現実に、中心/周縁だのマジョリティ/マイノリティといった二元論や対立構造では計測できない「トランスナショナルな」カオスは、今この瞬間の世界のリアリティそのものだ。そしてストリートに日々生まれるダンス、ダンス音楽とは、そのうねりを皮膚感覚として真っ先に表現する「都市のライヴ・メディア」なのかもしれない。