レトロなぼくら

WONO2005-05-02


「アイアム8ビット」展


アーリー80'sのテレビゲームにオマージュを捧げる展覧会がLAで開かれるらしい。ファミコン世代オールドスクーラーとしては、実に気になります。


あの頃、そりゃあ最初は単純に、アーケードに新しいゲームが出るたび「うわ、画素数が上がった」「動きがスムーズになった」「すげえリアルなグラフィックじゃん」と驚き、わくわくしたものさ。次はどんなのが出る? スペックはどう変わる?…と。


だけど山を登っているうち、いつのまにか頂上を通り過ぎて下り坂を歩いていた登山者のように、気がついたらいつの間にかゲーム表現の「進化」に対する興味が薄くなってしまっていた。3Dポリゴン表現のゲームが出てきた頃からだろうか。「テレビゲーム」という小っちゃなオモチャではなく、アミューズメントパークのアトラクションだのハリウッド映画だのと肩を並べる豪華な「エンタティンメント」へと、ゲームが「出世」していくにつれて、逆にレトロでローファイなヒストリカル・ゲームってやつが懐かしくなってきた。


たぶんみんな考えることは一緒なのだろう。日本でもレトロゲームの人気は定着しているようだ。一昨年、ファミコン時代のレトロゲームを移植した任天堂ゲームボーイアドバンスドがプレミアムのつく大人気となったのは記憶に新しい。またネットの世界ではレトロゲームに関するサイトも無数に存在するようだ。


こうしたノリって、ビンテージ・アナログシンセへの偏愛と、どこか似ているような気がする。


個人的経験で言えば、最初に触ったデジタルシンセがYAMAHA DX7(奇しくもファミコンと同じ1983年の発売)。「うわ、なんだこの透明感あるエレピの音!」と驚いたものだ。それ以来「もっとイイ音を」「もっとリアルな音を」と欲望はインフレ的に肥大していき、毎週のように楽器店をのぞくのが楽しみだった。ほとんどレコ屋で新譜を待つような感覚。


それが、ある時から新製品とか新スペックとかに興味を失っていった。むしろ、中古楽器店で誰も知らない時代の徒花のような安楽器やエフェクターをディグする方に、欲望は移っていった。

そもそも楽器市場で古いアナログシンセが復権した大きなきっかけは、ダンスミュージックの流行だったように思う。あえてレトロなリズムマシンTR909だの808だのでマシンビートを打ち込み、TB303のベースにJUNO106が和音を刻む……そんなテクノやハウスのスタイルは、リアルなデジタル音源がポップス界の主流だった時代に、あえて時代遅れの機材を安く手に入れて勝手に使い倒すインディーズの精神から生まれたと言って良い。


音楽の演奏や作曲の習熟には少なからず時間や努力が必要なものだが、それをすっ飛ばしたところで「やりてぇ!」と思った時すぐ手近にあったターンテーブルを擦る事でオリジナルな「音楽」を始めたNYのヒップホップ野郎。


複雑なコード進行もきれいな歌声も関係ねえよとばかり手近のギターを爆音で歪ませて歌というより絶叫のように「音楽」をかましちまったロンドンのパンクス。


そして、二束三文で手に入れた時代遅れのアナログシンセやリズムマシンを駆使して、ベッドルームでスペイシーなサウンドをコツコツ作り上げたデトロイトのテクノDJ。


彼らに共通するのは「新しくて高価な機材ほどエラい」という常識の裏をかいて、カネかけずに新しい音つくって自分の存在を訴える、野蛮だがスマートなやり方だ。いや、貧困や差別や抑圧といったプレッシャーがあったからこそ、そういったゲリラ的やりかたを選ぶしかなかったのかもしれないが(その辺の状況については、たとえば野田努『ブラック・マシン・ミュージック』に詳しい)。


そう、それはまさに一種のゲリラ戦かもしれない。軍隊のように巨大なシステムとなってしまったポップミュージック「産業」に対しての。(とは言えこうした『ゲリラ』の多くが、いったん成功するとたちまちメジャー化=システム化していく様子を、我々はずいぶん眺めてもきたが…)


話を戻そう。


音楽の世界と様子が違うのは、ゲームのレトロ指向はあくまでゲーマー=ユーザー(消費者)が主役ということ。最初に挙げた展覧会のように「懐かしいよねー」とマリオの絵を描いたりパックマンのオブジェをこしらえるってのも、ポップアートの新しいアイコンとして「ゲーム」を用いるという美術業界的な意味はあるのかもしれないが、ゲーム業界にとってはマーケティングに利用できる枠組みとしての「懐古趣味」以上でも以下でもなかろう。


ミュージシャン(制作者)が古い機材を「読み直す」ことで新しい表現を獲得していったように、次のクリエイションにつながるようなレトロゲームの「読み直し」が出現するとしたら、それは「レトロってイイよねー」と盛り上がっているライトユーザーの中からではなく、ベッドルームに引きこもってコツコツとわけのわからないものを作り続けているハードコアユーザー=若いインディーズ「職人」の間から、ではないだろうか。


時々ネット上に流出する裏ゲーやフラッシュ、アイコラなどのデンジャラスな「作品」群を見かけるにつけ、そんな気がしてならない。