消えるボールペン

これまで生きてきて、何本のボールペンを消費しただろうか。


上着の胸ポケットに差したつもりが見当たらず、全身のポケットを引っくり返したあげく、数日後なぜかカバンの中で見つける。研究室のデスクに置いておいたつもりが、どこを探しても見つからず不審のまま帰宅すると、なぜか自宅の洗面所にポツンと置かれてある。そんなふうに、場所は違っても発見できれば良い方で、ほとんどの場合は行方不明のまま迷宮入りとなる。


元来、物を失くす人間ではあるのだ。何か一つの事に気をとられると他の事が全く見えなくなるとか、手先が不器用で物をすぐ落っことすとか(そんな人間がどうして人前で楽器の演奏などできるのか考えてみれば不思議なことだが)、単純に物忘れが激しいという人格的な問題が、これほどまでボールペンをなくす一つの大きな原因である事は間違いない。


しかし、そもそもボールペンという物体じたいに、消滅へと向かう根本的な性質が内在しているとは考えられないだろうか? 科学的な説明はきわめて難しいが、そうとでも考えなければ、なぜこれほど消えるのか説明がつかないほど、ボールペン「だけ」が、僕のまわりから消えていく。シャープペンシルや極太マジックマーカーや蛍光ペンや筆ペンは消えない。万年筆は持ってもいない。


単に僕の性格に問題があるのであれば、他の文房具も身の回り品も、等しく同じ確率で消失していくはずではないだろうか? しかし現実には、消えるのは「ボールペン」だけだ。何かのイベントで記念にもらったボールペンも、革の手帳にコーディネイトして買ったオシャレなボールペンも、奮発して泊まった高級ホテルの部屋からちょっと罪悪感を感じつつ(小心者なので)くすねてきたボールペンも、いつの間にか消えていくのが、僕の人生だ。


リチャード・マシスンに「縮みゆく人間」という、原因不明なまま主人公が日に日に縮小して、やがて消えてしまうというストーリーの短編があった。ボールペンもまた、何か神秘的な理由で、日に日に小さくなって消滅してしまうのだろうか? あるいは、水滴が岩に穴を穿つように、ナイフが砂の中で錆びついていくように、ボールペンもまた何らかの物理作用によって劣化するなり摩耗するなり風化するなりして、この世から自然に消えていくのだろうか? 


それともひょっとして、大学や音楽スタジオやライヴハウスといった僕の職場には、狡猾で老獪な置き引きのプロフェッショナルが実は潜んでいて(それは案外、そ知らぬ顔をした同僚や友人かもしれない)僕がちょいと脇見をした隙をのがさず、目にもとまらぬ素速さでボールペンを略奪しているのだろうか?


そんなわけ、ないだろう。 と、理性ではわかっているのだが、現実にボールペンは消えていく。それが、今日に至るまで高価なボールペンを買わなかった理由だ。どうせ消えるんだからと初手からあきらめムードの負け戦。運命の女神を相手に消化試合をこなしているような僕のボールペン人生。


だから、アメリカ滞在から帰国した友人が「これ、お土産。向こうじゃ安かったんでね」とペーパーメイト社のボールペン(書き味抜群)を1ケース120本ドーンとくれた時は、実に嬉しかった。これでいくらでも失くせるぞ!!わーいわーい。


で、結末はご想像の通り。


そのボールペン120本は、今のところ1本たりともなくなっていない。そのかわり、それ以外の大事なシャープペンシルや赤ペンやマジックペンが、どんどん消えていくようになってしまったのですね……。いやはや、なんとも。